25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

時の流れ

2018年10月02日 | 文学 思想
 ホテイアオイ(布袋葵)は放っておくとひと夏で増えまくる。立った二株買っただけのものが去年ひと夏で池が一杯になり、それを取り除いてもまた増えた。そしてまた取り除いた。池に花がないと寂しいと思い、円形の器を入れ睡蓮を咲かせようとしたが、いつの間にかホテイアオイが入り込んでいたのか、睡蓮も駆逐されて、今年はホテイアオイが器の中で薄紫色の花を咲かせたのでびっくりした。花を咲かせることは知っていたが去年は咲かなかったものだからこれは咲かない品種なのかと思っていた。そう言えば、時期的には花が咲く前に取り除いていたのかもしれない。
 今も池は毎日水草が池を覆い、それを行く度にいくらか取り除く。
 今年の夏、賀田の川で孫娘が根気よく網で獲り続けた川魚の稚魚がまだバケツの中で生きている。ぼくは毎日世話をしている。餌をやるのだが、メダカや金魚より野生っぽく餌の食べ方が素早く、警戒心が強そうである。
 これをそろそろ池に運ぼうかと思っている。これだけ水草が水の表面にあれば鳥の襲撃は受けないのではないか。あとは、蛇か蛙であるが、それは自分でなんとかするしかないのではないかと思う。餌はどうするだろうか。まあ、見てみるか。

 久しぶりに晴れの日が続いた。だがまた台風25号で秋雨前線が刺激されるらしい。ヒラメ、本ゴチ釣りをして・・・・・・と思っているが気分と天候が一致しない。今度の土曜か、日曜にいくか、と思って天気予報をみると雨マークがある。

 時間に縛られずに、自由に生活ができることほど有難いことはない。強要されるものもない。時々都会での生活を考えてみるが、第一にバスや電車の時刻に縛られる。それを思うだけで億劫になる。よほどわがままにできているのだろう。会社に就職することは考えられなかった。狩猟採集民の遺伝子が色濃いぼくはやはり育てるよりも採る方に好奇心が走る。そのためには自由な時間を確保できなければならない。だからそうした。出きる限り生活が自由になる方向へと持っていった。
 すると耐え忍ぶことができなくなっていた。何がよいのかわからず反省もし、後悔もした。今は時間の自由をある程度得ている。これを暇だ、退屈だと言っているわけにはいかない。貴重な時の流れである。