25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

奇妙なサウジアラビア

2018年10月24日 | 社会・経済・政治
 奇妙な事件が起こるものだ。サウジアラビア人のジャーナリスト、カショギ氏殺人事件のことだ。18人もの大人がでてきて犯行に及び、どうやら内部でのやりとりはトルコ側には筒抜けという有り様。このぐらいの程度の人間が政府の中枢部にいるのだから、ざっぱなものだ。

 待てよ、と想像してみる。これが日本で起こっているとしたら・・・。「治外法権ですから」としらを切る官房長官が浮かぶ。日本国内で、たとえ領事館や大使館内といえども人殺しはしないでもらいたい、と強く言うことができるだろうか。またあるいは、この事件を外交の取引に利用するだろうか。アメリカであれば世論は沸騰するように思える。イギリスで起こったならば、その先進国の元帝国の矜持が許さないように思う。

 日本がアメリカやイギリスのように振る舞えないという想像を悪いことだと思えない。こんなこいで猛る方がおかしいとも思える。他国のことは他国のことだ。そう思ってもかまわない。この事件が理不尽でひどいものならサウジアラビアの人々が時間をかけてでもよくしたらよい。我々は関わらないほうがいいのだ、という意見もあり得る。ぼくはこの意見の方に気持ちがすり寄る。

 しかしながらこれはひどい行為だと思うし、言論の自由も無視されるのも、自分だったら耐え難いことである。
 サウジアラビアは部族を統率したサウード家がイスラム法により国を運営する国家である。6割が公務員とされ、高給取りである。日本の6倍の面積がある。アメリカのシェールガスによって、石油の値段が上げられないということと、脱石油化が進んでいることから、サウジも石油資源に頼らない産業を起こすことが命題である。肉体労働者は移民である。働くことに慣れていない人々が多いと言われている。
 近代法ではなくイスラム法が法律なのだから、宗教=国家であることは間違いないが、国王=宗教指導者かどうかはわからない。イランはホメイニ師が出て来て、パーレビ国王が追放された。サウジであってもどうなるかわからないだろう。インドネシアのように世俗化して宗教色が薄くなっていく政策を取り始めているように見える。
 人類がアフリカを出て、ヨーロッパに向かうまでの途中、チグリス、ユーフラティス川あたりのシナイ半島、それにアラビア半島あたりにとどまった人々のいる地域である。

 自分の生涯のうちで足を踏むことはないところだろう。

 おそらくこの事件はうやむやのうちに終わりとなる。何にしても被害者が一番損するのはどこへ行っても同じだ。 

 
 

ぶらぶら歩く

2018年10月24日 | 日記
シリアの内戦で人々は何を思い、どんな生活をしているのか。難民キャンプの様子はどうなのか。ヨーロッパを目指した難民たちはどのような状態なのか。古来から戦いを繰り返してきたこの地域を人はどう見ているのか。このような現実はジャーナリストが命をかけて取材に行かない限り、ぼくらのようなものには伝わってこない。
 ISに捕まったのは自業自得だと言う者の神経がわからない。安田純平さんのようなジャーナリストを政府が交渉して助けないでどうするのだ。危ないからシリアやイラクには近づかないというジャーナリストが多い中で、不幸にして捕まってしまった安田純平さんはどうやら帰国できそうである。これを嘲る輩がいて、その言説を許すような社会であったら、この国のレベルは低い。

 遠く離れた極東の日本列島の紀伊半島の沿岸にある尾鷲にいて、世界のニュースが朝の情報番組で飛び交う。

 この二、三日、床から起きるとき、疲れの芯のようなものが残っているのを感じて、もうひと眠りしようかと思ったがこれ以上眠れそうにないので、疲れの芯を残したまま起きた。そして上記のようなことを思った。

 七月、八月は暑く、九月は雨が多く、車で事務所に行っていたが、今日は歩くことにした。先に「セーラム」に行って、肝臓のためのドリンク剤を飲んだ。疲れの芯が気になったからである。別に疲れたことはしていないからきっとアルコールの疲れだと自己判断した。店の女の子が手に印のような書き物をしていて、「何、手に入れ墨しとるん?」と冷やかし、「忘れんような、メモっとるん」「いや入れ墨に見えるで」。忘れてはいけない重要なことなのだろう。喫茶店の角を曲がり、左に書店を見、中井町の通りに入る。蕎麦屋のあるところのほうに右に曲がって、また左に曲がる。当然、三宅青果店の前を通る。柿が並んでいる。メダカもいる。
 「これは(次郎柿を指して)硬いのが好きな人にはよいな」
 「ほやけど、熟してくるんやり」
 とやりとりしていると、隣のおじさんが、
 「これ(蓮台寺柿を指して)にはかなわんどな。これは旨い」
  三宅のオヤジが
 「ほれ、真っ赤に熟しとるやり、こうなるのも珍し。これが貴重なんや」
 と言って、蓮台寺柿を勧める。
 それを一皿五個買うことにして、メダカの話となり、
 「今年、メダカは7月の始め頃にちょっと卵産んで、あかちゃんメダカもすぐに死んでたんさ」
 とぼくが言ったら、
 「うちもそう。やっぱり暑すぎたんやで。金魚もそうやった。山城さんらあは氷を入れとったと言うでな。暑かったもん。人間でもくたばるのに、メダカや金魚もえらかったと思うわ」

 なんと呑気で平和な話をしていることか。難しい話題さえ避ければ、少々の商売の浮き沈みはあったとしても今日のようなのんびりした時代が五、六十年はこの界隈で続いているのだと思う。

 
 四月に車で跳ねられて膝を折ったAさんも回復したが干物店は廃業した。保険の手続きと交渉を手伝った。ときどき市場で自分たちが食べる分だけ作るというので、カレイとイワシについてはぼくの分を作ってほしいとお願いしてある。
 その隣のMさんには日頃、何かといただくので、細君が東京へいった折り、御菓子のひとつでもと買ってきて、持っていったら、逆に「ブリ」だの「ムツ」だのもらって恐縮した。