25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

小さな発見

2018年10月07日 | 文学 思想
 小型のヤナギカレイが一パックで7匹ほど入って140円。これを2パック買った。その日は他にクモエビが同じく一パック10匹入って140円。これも2パック買った。地元でしか手に入。しかもこさ。ヤナギカレイは一夜干しにして、クモエビは茹でて酒の肴に。クモエビはミソも旨く、小さな身だが、プリッとして、味は主張せずにお上品である。

 近所のおばさんが、「ほれ、これやろ」と時々食べ物をくれる。この前は「片口イワシ」を干したものをくれた。「これ旨いんさ。これあったらよいんさ」とつぶやいた。ぼくは片口イワシとじぇば、カツオ漁のときの餌となる2月、3月の時期のものしかしらないし、それ以外の季節のものは食えるもんかと思っていた。なので、しばらくその干物は冷蔵庫のなかにあった。
 一週間ほどして、もらったイワシをどうする、と細君に言ってみると、「私、食べる」と言って、ビールのおつまみのごとく焼き始めた。初春の頃の肌と初秋の頃の肌はこんなに違うのか。まず、ウロコがついていない。肌の色は濃い青である。初春のものは海中で煌めくのであろうと想像がつく。銀色の鱗が煌めき、カツオが踊るように飛びつくのだ。
 秋の片口イワシ。一切脂がない。それはわかっていた。ところが意外にも美味しい。ふと、考えた。おれが焼いたらきっとおいしく、硬くなったはずだ。
 「どうやって焼いた?」「強火で、焦がすことなく。尻尾がちょっと焦げたらそれでいいかな」
 この程度の焼き加減だと身に水分が残るのか柔らかい。上等に美味しい。今年の発見である。思い込みはあかん、と反省する。
 そろそろ「鬼エビ」も出てくる時期だ。ハゼも釣り行かなければならない。ハゼの天ぷらは旨い。
 木瓜に大きな実がつき、どうしたものかと考えている。木瓜酒を試飲用にもらったがまだ飲むチャンスがないのと、積極的に興味津々というわけではない。が飲んでみることだろう。たぶんもうすぐだ。木瓜の実が落ちる前にだ。
 久しぶりの晴れの日なので、金魚の水槽の水換えと掃除をした。防水にしてあったはずのモーターの部分が水に浸かり故障したらしい。コンセント部分も含め、絶対水が入らないようにと幼稚な頭でなんとか格闘していたらカッターナイフが指にあたり血がでた。慣れないことをすると必ずとうっていいほど怪我とか、なんとか が起こる。
 
 今日の曽根の客は前の浜での釣りが目的である。釣れているだろうか。台風21号前の客は40センチはあるクエを釣った。