25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ある実験

2018年10月23日 | 文学 思想
 学生に2枚のカードを見せる。1枚目には直線んが1本、2枚目には長短の異なる3本が並んで描かれている。このうち1本だけが一枚目の直線と同じ長さだ。学生たちは、その1本が3本の中のどれかと問われる。長短はかなりはっきりしている。ふつうなら間違える率は1%届かない。だが、グループの
学生のほとんどが「サクラ」で本当の被験者が1人だけだとどうなるか。サクラ」は事前に指示されたとおり同じ誤った答えを口にする。そのときただ1人事情を知らない学生の反応は?
多数派に引きずられて答えを誤る率が36.8%に上った。だれも同調を強制していないし、答えが違っても罰則はない。(朝日新聞「日曜に想う」2018.10.21)
 これはアメリカの大学での1951年の実験である。

 嘘のことでも本当と答えてしまう。さしずめ、モリカケ問題関係者はみな36.8%内に入る人たちなのだろう。
 まんぷくの萬平さんはえらかった。

 この世には「和をみだしたくない」と黙る人がごまんといる。異議を唱えればいさかいになる、とその場の雰囲気を壊してしまうと遠慮する人もいる。

人間の脳には摸倣因子があるらしい。そう言えば、幼児の描いた絵がズラリと張り出されて展示されているのをスーパーマーケットで見たことがあった。蛸の絵はみな同じようだった。だれかが最初タコ描いたら隣の子から次々と真似されていく様子が想像できる。流行というのは模倣因子の一つの現象なのだろう。「天皇陛下、万歳!」は何なんだろう。自発的? 強制? 「靖国で会おう」は何?
 
 長いものに巻かれるなんてまっぴらである。「地場産業の振興」 というのももう50年も聞いている念仏にようなものだ。これも模倣因子なのだろう。これを言っておけば政治家としては一応安心である、と。
 こう考えるとネット、SNSとかは怖い。
 

沢田研二ねえー

2018年10月23日 | 音楽 ポップス
 稀代のデュエット双子シンガーである ザ・ピーナツの歌声は素晴らしかった。ぼくは彼女たちは別格の存在でヒット曲があるとかないとか、そんなことに影響されない日本の国民的歌手であると思っていた。40代や50代の頃の歌声も聞きたかった。ヒット曲がでなくなったことが引退の理由のひとつのように言われるが、もうそんなレベルの歌手ではないことはみな知っていた。

 ただまだ歌謡界はテレビに頼る世界だった。井上陽水のように独自にコンサートをやり、テレビにはでず、レコードを売るというスタイルがまだ確立していない時代だった。ザ・ピーナッツはナベプロにいたのだからしかたのないことだったのかも知れない。

 恨みがましいことを言うが、作曲家宮川泰の曲からすぎやまこういちに変わったのを覚えている。お洒落さでは宮川泰の曲の方が数段に上だった。ザ・ピーナツの曲の質が落ちたと思ったのをよく覚えている。そこへ沢田研二がピーナツに曲を提供した。これが全くの駄作であった。そして沢田研二がピーナツを引退に追い込んだ。姉の伊藤エミ方と結婚したのである。そして離婚した。これが恨めしい。沢田研二と言えば、ぼくの中のイメージでは短気で、不寛容な昔気質の男だということになった。
 郷ひろみと比べればいいと思うが、容姿へのこだわりは郷ひろみの方が努力して歌手を保っているように見える。沢田研二にそんな努力が見られない。やはり太りすぎである。

 人気歌手だった彼にぼくは「フン」と思っていたのだった。ザ・ピーナッツの幕を下ろさせた男として沢田研二を嫌ったのだった。どっちが上じゃい、ときっとピーナツびいきをしていたのだろう。

 しかしながら沢田研二は七十歳になっても、太っても人気がすごい。テレビニュースになると瞬く間の次のチケットが完売し、プレミアがつくほどである。毎年アルバムを出していて、コンサートではあまり過去の懐メロはやらないと聞く。それは桑田佳祐が「やっぱり新曲だしてやっていくのが・・・」と言っていたのと重なる。新曲を出し、ヒットさせないと、歌手というのは懐メロの歌手になってしまう。沢田研二は懐メロ出演は拒否しているように見える。別格なのだろう。矢沢永吉や井上陽水、松任谷由実、中島みゆき、郷ひろみなどもそうなのだろう。前線で活動している。

 久しぶりにテレビ画面に現れた沢田研二であった。その一週間ほど前にBSでザ・ピーナッツの三時間スペシャルがあり、初めて聴く曲も多く、ぼくは大いに喜んだが、DVDに録画するのを忘れた。これほど偉大なザ・ピーナッツのことだからまた特集があることだろう、と安心感がある。