25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

大根菜の糠漬け

2018年10月29日 | 日記
  三宅商店の店先に「大根菜」幾束かあった。大根菜の糠漬けは去年まではスーパーでも売っていたのだが、作り主が亡くなったらしく、胡瓜の糠漬けがでるくらいで、大根菜は食べられなくなった。そういう事情で「大根菜が食べたい」と思ってもないのであるから、よし、糠漬け用品一式を買い、やってみようと思った。糠、唐辛子などは三宅に揃っていたので、あとは容器だけである。
 そこに昔主婦の店の専務をしていたMさんがいた。彼が丁寧に作り方を教えてくれた。半日、大根菜を日に当てて、しんなりしてからやで。ぬか床はまだ日が経ってないでに、2、3回は塩っぽいどな。だんだんと糠っぽい味になってくるで。昆布も放り込んどくとええなあ。味の素でもよいどな、という「具合である。すっかりその気になって、ようやく自分で漬物がつくれるわい、とワクワクと事務所まで糠と蓮台寺柿を持って歩いたのだった。
 すると細君がケチをつける。イオンに行ったら容器も一緒になったセットがあるのに、と言う。彼女はぼくの渇望ぶりを知っているが、本人が糠漬けを好まないことからか、面倒臭いからなのか、作ったことがない。
 大根菜を売っているところもぼくは知らない。三宅で初めて見た。根のところに細く、小さな大根があるから、大根おろしをするときの大根とは種が違うのだろうか。

 まあ、やってみるかとイオンに行った。まず容器を買う前にそのセットを見ておこう、良さそうだったらそっちにしようと細君の言葉でやや本格的に自ら作るより、簡易なものがよい、とも思ったのだった。イオンの係の女性に訊くと、もうあの容器セットは売っていません、と言う。なぜか、と訊くと、売れなから、だと言う。糠漬けは商品としても置かないのだという。仕入れても発酵が進んでいって、どうにもならないのだ、と言う。そうか、コメリに行くかと駐車場まで歩いていたら、「お客さん、お客さん!」と声がした。振り返るとたさきほどの係の女性が何やら持って、走ってきた。
「これはどうやろ?。この袋の中にはもう今日からでも使える糠が入っとって、ここを切って、あとは空気が入らんようにここでストッパーするだけなんやけど。いっぱい作るん?
「いや自分だけ」
「これで胡瓜なら3本、ナスなら2本できるで、これでええんやない」
「へえ、どこに売っとるん?」
 彼女は案内してくれた。すると、糠が少なくなったら注ぎ足す用まである。あらま、これで上等だ。しかも冷蔵庫に入れておける。
 知らなかっただけで便利な世になっているのである。糠漬けがない、糠漬けがない、などと不平を言っていた自分は恥ずかしくなった。スーパーに通う主婦の人なら知っているはずだ。ぼくも毎日スーパーにいくのだが、そのコーナーを見たことがなく、ぼくの失敗であった。Ⅰ