25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

突然変異のように

2018年10月04日 | 文学 思想
 シベリアとアラスカは陸続きであった。ホモサピエンスは極寒の地でも生きていける能力を身につけていた。マンモスを倒せば、動物性の脂肪もとれる。肉は保存もできる。シベリアの地では獣の皮を加工する技術も進歩した。狩猟採集民はマンモスなど大型の獣を追いながらやがてアラスカに入っていった。アラスカから南下はできなかったが、気候の変動により、南下ができるようになった。
 多くの動植物はホモ・サピエンスが入り込むことで絶滅した。ホモ・サピエンスは地球上最悪とも言える強者だった。すでに弱者だったアフリカのサバンナから出てホモ・サピエンスは変っていた。ついには南アメリカの果てまで、世界の島々にまで生存するようになった。

 あるとき、雑多な植物の中で小麦に目をつけたサピエンスの集団がいた。これを栽培する知恵が浮かんだ。栽培はそう簡単にはいかなかった。雑草取り、虫を防ぎ、病気から守り、やっと実っても加工が必要だった。栄養のバランスも悪かった。狩猟採集をやっていたほうが豊かで栄養もバランスよくとれた。それでも彼らは小麦を作り続けた。今、世界の面積で日本の6倍ほどの面積で小麦が栽培されている。
 あるとき、小麦ではなく、稲に目をつけた集団がアジアにいた。あるときトウモロコシに目をつけた集団がアメリカにいた。あるときジャガイモに目をつけた集団がヨーロッパにいた。山羊や羊は飼いならすことができるものだと知った。犬、馬、牛も飼いならすことができると知った。
 これらのことを逆に言えば、小麦や米、トモウロコシがホモ・サピエンスを支配したとも言える。何百属、何千種とある動植物を絶滅させ、小麦や米が第支配者となった。サピエンスは家畜同然になった。これが農業革命だった。農業革命は苦労の末に成功した。その種と栽培技術を持ったものが今度は狩猟採集民を駆逐していった。狩猟採集民は果てに追いやられた。

 ホモ・サピエンスが海に進出してから、海の生物も絶滅したものがいる。クジラもそれが危惧され、日本ウナギも危惧されている。尾鷲沖からはとっくにサンマは姿を消した。


 地球上に70億人もいることになってしまったホモ・サピエンスの人口はまだ増加する。ホモ・サピエンスが生きていくために70億人分の食料と水と塩がいる。おそらく科学はそのためにある。ホモ・サピエンスでしかできない食料の合理的生産。栄養の摂取。病気の克服。

 ノーベル賞の時期が来ると、ホモ・サピエンスのうちのある種の天才や努力家がサピエンスを牽引していくのだと思うときがある。名もなくひとりひとりの生きることが全体でサピエンスを前に押し進めている。しかし時に突然変異のようにびっくりもんの発見、発明がなされる。様々な分野で様々な研究、試み、情報交換がなされ、あるときホモ・サピエンスはドーンと前へ進む。次の産業革命はもうすぐだと思う。そのときには人ホモ・サピエンスが枝分かれするのかも知れない。そんなことまでも思う。

時の流れ

2018年10月02日 | 文学 思想
 ホテイアオイ(布袋葵)は放っておくとひと夏で増えまくる。立った二株買っただけのものが去年ひと夏で池が一杯になり、それを取り除いてもまた増えた。そしてまた取り除いた。池に花がないと寂しいと思い、円形の器を入れ睡蓮を咲かせようとしたが、いつの間にかホテイアオイが入り込んでいたのか、睡蓮も駆逐されて、今年はホテイアオイが器の中で薄紫色の花を咲かせたのでびっくりした。花を咲かせることは知っていたが去年は咲かなかったものだからこれは咲かない品種なのかと思っていた。そう言えば、時期的には花が咲く前に取り除いていたのかもしれない。
 今も池は毎日水草が池を覆い、それを行く度にいくらか取り除く。
 今年の夏、賀田の川で孫娘が根気よく網で獲り続けた川魚の稚魚がまだバケツの中で生きている。ぼくは毎日世話をしている。餌をやるのだが、メダカや金魚より野生っぽく餌の食べ方が素早く、警戒心が強そうである。
 これをそろそろ池に運ぼうかと思っている。これだけ水草が水の表面にあれば鳥の襲撃は受けないのではないか。あとは、蛇か蛙であるが、それは自分でなんとかするしかないのではないかと思う。餌はどうするだろうか。まあ、見てみるか。

 久しぶりに晴れの日が続いた。だがまた台風25号で秋雨前線が刺激されるらしい。ヒラメ、本ゴチ釣りをして・・・・・・と思っているが気分と天候が一致しない。今度の土曜か、日曜にいくか、と思って天気予報をみると雨マークがある。

 時間に縛られずに、自由に生活ができることほど有難いことはない。強要されるものもない。時々都会での生活を考えてみるが、第一にバスや電車の時刻に縛られる。それを思うだけで億劫になる。よほどわがままにできているのだろう。会社に就職することは考えられなかった。狩猟採集民の遺伝子が色濃いぼくはやはり育てるよりも採る方に好奇心が走る。そのためには自由な時間を確保できなければならない。だからそうした。出きる限り生活が自由になる方向へと持っていった。
 すると耐え忍ぶことができなくなっていた。何がよいのかわからず反省もし、後悔もした。今は時間の自由をある程度得ている。これを暇だ、退屈だと言っているわけにはいかない。貴重な時の流れである。
 

台風のあと

2018年10月01日 | 日記
 台風らしくなってきた夕方5時頃から9時頃までにぼくが知る限りでは沖縄県知事選挙のニュース速報テロップが出ることはなかった。翌日の朝の情報番組でも扱うことはなかった。朝日新聞はトップ面で大きく報じた。
 テレビは台風がすぎた様子と樋田逃走犯のことに時間を使っていた。沖縄に本当に今基地はいるのか。そもそも論に戻ってもよいのではないか。米軍はグアムでいいのではないか。またその方がリスクも小さいのではないかと思える。

 秋の番組改編では現政権はマスコミに「公平にと」と圧力をかけるから息苦しいことだろう。

 日馬富士が国技館で堂々と断髪式を行い、翌日には貴乃花の引退が了承された。普通見れば、加害者の側がと被害者の側でこんなに雲泥の差があるとは不思議な景色である。相撲協会は警察からの連絡があったとき、有無も言わさず、調査に乗り出すべきだった。あの時、二次会の席で本当になにがあったのか、校長や素人相撲監督という教育者もいたのだからこに暴力の場面は精査されるべきだった。場所が始まる前にだ。時間がなければ日馬富士を出すべきではなかったのだ。それにしても残念なことである。協会のモンゴル勢への弱腰が透けて見える。