エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

桜紅葉とエノコロ

2012年10月16日 | ポエム
桜紅葉とエノコロが見頃である。

桜の葉は見事に黄葉している。
エノコロはネコジャラシである。
エノコロの枯れ具合が宜しいのだ。







「えのころやじゃれつきもせず眠り猫」







もう少し経てば、草モミジに溶け込んでくれる。
草紅葉の名所は、日光戦場ヶ原であると堅く信じこんでいる荒野人である。







「さくら紅葉いつの間にやら散りにけり」







桜の葉は、見事な季節の演出者である。
四季を通じて季語になる花卉である。

かてて加えて「散り際」の見事さが沁みるのである。



        荒 野人

銀木犀の花と雲

2012年10月15日 | ポエム
銀木犀が咲いている。
金木犀と違って、白っぽい花である。



今年の木犀は香りが少ない。
色も淡い。
花が小さい。
花数が少ない。
咲き方が遅い。



と、文句ばかり言いたくなる咲き方である。
夏の異常な暑さのせいであろうか?



しかし昼の雲は見事だった。







「ちぎり絵の輪郭淡きいわし雲」


「雲重ね重ねるほどに空高し」







一筆で書きたくなる雲である。
雲を重ねた「ミルフィーユである。

甘い甘い洋菓子も良いけれど、ぼくはやはり和菓子が好きである。
それも濾餡の饅頭が良い。



夕方、空をいわし雲が覆った。
見事な鰯である。

スケールの大きな雲であった。



ミルフィーユの残滓のような雲もあった。
砂糖とバターが零れ落ちて来そうであった。



      荒 野人

黄昏(こうこん)の

2012年10月14日 | ポエム
黄昏の時。
ぼくは落涙する。





      黄昏の時


   ぼくは
   断固として
   落涙する

   それも滂沱として
   涙を落とし続ける







   室内にあっても
   その光明を求めるのだ







   柔らかな
   それでいて
   君の肌触りのように
   滑らかな
   光沢を
   帯びた光明に

   ぼくは
   憧れたのだ







   時として
   光明は
   光芒となって

   舞い降りる







   人は生き
   人は逝く

   森羅万象の
   掟なのだ







   かつて
   人の世に光あれ
   と
   歌った
   高潔な精神よ

   光と共に
   降りよ

   しかして
   永久に生きよ
   刹那に逝くな

   永久に生きよ





黄昏・・・ワグナーの音楽が耳朶を震わせる。




        荒 野人

季節に寄り添って

2012年10月13日 | ポエム
今日は久しぶりに詩を書いた。
季節に寄り添って生きる、のである。





      季 節


   誰も
   知らないだろう

   ぼくが
   季節の挟間に
   埋もれている
   現実を

 





   季節は
   伝説を創り
   寓話を
   育んだ







   季節は
   速足で駆け
   その後ろを

   謐かに
   厳かに
   雨の女神が追って
   過ぎ去った
   






   ぼくは
   その季節に
   寄り添いながら

   季節に埋もれてしまった
   のだった

   季節は
   遠慮がちに
   寄り添ってくるのだ

   そうした季節
   の
   揺らぎこそ
   メトロームの刻む

   規則なのだった


   


秋の日のヴィオロンの溜め息が聞こえそうである。
そう言えば、あの小柄なヴィオロン弾きが公孫樹並木にまだ現れない。

黄葉が進まなければ、演奏しないのだろうか。
あるいは、デヴューして演奏活動が忙しいのだろうか。

どちらにせよ、あの公孫樹並木でヴィオロンを弾くシルエットは素敵である。
高い空に吸い込まれる演奏の音一つ一つが懐かしい。



        荒 野人

空を見上げよ

2012年10月12日 | ポエム
もちろん、足元をしっかり確認しての話である。



この上の景色はこうなっている。
公孫樹の青さが残る並木である。



視線を上げる事の効能は限りない。
秋が満載されつつある。

誰でもが詩人になれる季節・・・それが秋である。



五感を総動員する。

匂いがある。
色がある。
紋様がある。
触覚に働きかけてくる肌触りがある。

もちろん、味覚に溢れている。
ぼくは、山河賞を祝ってくれるお師匠様がいて「松茸ご飯」をいただき「茶碗蒸し」を味わい、味覚と嗅覚と視覚を堪能した。

幸せである。







「見上ぐれば吾小さく見ゆ天高く」







目にも優しい色合いは「行合いの色」である。
造語である。
「行合いの空」の模倣である。

大切に、慎重に、且つ豊かに・・・五感を働かせる事である。



        荒 野人