エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

棗の実

2012年10月06日 | ポエム
小さな秋満載である。
今日、棗の実と出会った。
不意に出会ったのである。

数年前に塩尻の街中で熟れきって落果した棗を食べて以来である。
「青棗」だったけれど、紛れもなく棗の実であった。



これは、利休棗である。
由緒正しいのである。

お抹茶を入れる道具の棗に似ていることから、棗と言われているのである。
なるほど・・・棗である。







「青棗淡き陽射しの葉影かな」







ねっ・・・ナツメでしょう。



棗は熟すと、この色になる。
飴色である。
ただし、食せばその感覚は「粉粉して」いるのであってそんなにうまい果実では無い。
もっとも余り生色はしないのである。

閑話休題。

今日はこれ以外にも、小さな黄葉に出会った。
数本の公孫樹の木の黄葉がかなり進んで居る一画があった。



この色は嬉しい。







「秋の蝶翔び舞う広さ限られて」







家の近くでは、キバナコスモスが満開の態である。
秋の蝶が飛翔するステージである事は言を俟たない。

コスモス、黄葉、秋の蝶、周り中に秋の季語が横溢している。
歳時記でも秋のページ数は格段に多い。

今詠わなければいつ詠うの?
そんな風に聞かれそうだけれど・・・なかなか俳句は産まれてこない。

残念である。



秋の雲は遊弋する。



そして平仮名の様である。
確かにそうである。



       荒 野人

上野のお山で吟行

2012年10月05日 | ポエム
10月4日、からまつ俳句会の秋の吟行が行われた。
総勢50有余名の吟行である。



折しも、朝方まで降った雨も上がって吟行日和となった。
会場は東京文化会館である。



50有余名が参加されて挙行されたのである。
選者はもとより、主宰、副主宰、同人会長も参加される。

俳句結社「からまつ」の錚々たるメンバーである。

ぼくも初めて、身近にこうした先生方と接する事が出来たのである。
結社賞をいただいた同人総会では、周囲を見るゆとりなど無かったのである。

上野の山は、ツタンカーメン展もあり平日にも拘らず人出は多かった。
俳句にできる、環境は整っているのであった。



コスモス。
秋の蝶。



初紅葉。



彼岸花。



頭上の短冊。
これは、大震災からの復興を願う子どもたちの言葉が書き込まれている。



不忍池である。
破れ蓮(やれはす)が秋の季語である。

結果は、俳誌に掲載されてから紹介する事としたい。
次の俳句は、朝方JRの車内で詠んだ句である。



「夜来の雨上がれば日毎秋澄みぬ」



これからは日毎に秋が深まっていく。
一雨ごとに快適な気候となる・・・その喜びである。




    荒 野人

ハナミズキの赤い実

2012年10月04日 | ポエム
今日は朝早くから、地下鉄に乗り、JR山手線に乗り上野公園に向かったのであった。
「からまつ」の秋の吟行であって、準備のために早めに出かけたのである。

従って、この時間の更新となった。
吟行の事は明日に譲ることとし、今日はハナミズキの赤い実を詠った。







「花水木赤い小粒を恥らいぬ」







秋の高い天の日差しを受けて輝くハナミズキの実は美しい。
秋を感じる今日この頃である。



もともとアメリカ原産の花卉である。
ロスの郊外・・・フリーウェイを走ればハナミズキがそこかしこに見える。

大陸を感じさせる花卉である。



     荒 野人

台風の前に

2012年10月03日 | ポエム
台風17号襲来の前に、散歩に出かけた。
彼岸花を愛で、紫式部に浮気しつつ、雲古を見た。



桜の落ち葉を踏み、秋を感じたのである。



この台風が一過すると、ますます秋が深まる。
そうであって欲しい。



「画竜点睛」とはこの事かと見まごうばかりである。







「えのころや風を纏えば秋澄みぬ」











「曼珠沙華一人で咲けど赤究む」







紫式部もその小玉を魅力的に色づかせている。
秋である。



狂い咲きのようにサルビアが真紅に咲いた。



      荒 野人

マンジュシャゲ・・・彼岸花

2012年10月02日 | ポエム
又会う日まで・・・彼岸花の花言葉である。
花のイメージと全く合致する。


田の畔道に良く咲いていたし、お墓に赤く揺れていた。
それが幼いころの記憶である。



田の畔道に咲いていたのは、この植物の根には毒がありモグラが忌み嫌うからである。
お墓も、きっとその意味で守ってくれているのである。
そう思いたい。







「天と地の挟間で生きる彼岸花」







ぼくの所属する「からまつ」は、4日に上野公園で吟行する。
上野公園は、いま大幅な改装が終わりつつある筈である。

国立博物館前の噴水広場は、ここのところずっと工事中であった。
大迷惑な工事ではあった。

公園で最も早く開く桜が、囲われていたし、グルリと廻り込んでその先に行くのも面倒であった。
それだけにどのように変わったか、楽しみである。



きっと上野公園のパゴダ(大仏)辺りの斜面には彼岸花が満開であろうと推測できるのである。
今頃は、きっと蕾であろうと予想するのである。

「からまつ」の吟行は、ぼくにとって初めての経験である。
だがしかし、ぼくの所属する「仏泥鰌句会」の兄貴分「青嶺句会」が責任句会であって、そのお手伝いをする事となっている。
ぼくは、カメラマンである。

主宰の吟行を追っかけ、学びつつ写真を撮ろう!
と、思っているのである。

さて、上野公園にはどんな素材があるのだろうか?
いまぼくは、ぼくの記憶を総動員して上野公園をイメージしているのである。



      荒 野人