農作業に帰ったが早々と作業が終わったので
私のふるさとに伝わる伝説の場所に行って見た
稲葉の宝剣勝姫伝説の場所だ
家から一キロ程上流の県道沿いに有る
宝剣宮建立の石碑を写して来た
稲葉の宝剣 宝剣宮由緒
人皇第百五代後奈良御製宸翰
八幡宮神息作 在銘 稲葉の宝剣
以上式品を御神体として祭る
天文年間丹波の国山内郡坪田村より
入澤勝姫 宮中に召され中宮として
御奈良帝に仕えご寵愛深く
お胤を宿す 懐妊のまま
備中松山城主 三村家親に賜る
別離に臨み天皇の御形見として
宝剣を賜わる
勝姫 松山城中にて御男子出生す
入澤勝寳子丸と命名さる
天正三年松山城落城
忠臣 山縣新介に守られ
勝姫親子共に作州篠吹城に脱出
拾カ年を経る
併し篠吹城落城のため天正十五年
宸翰並に寳剣を奉じて御母子共
山縣新介に守られこの地に定住
勝姫 元和五年正月二十四日歿
末裔二十代今日に至る
昭和五十七年十二月建立
その家は地頭と言う屋号で呼ばれていたが
この宝剣宮は建立当時の当主
入澤信夫氏を発起人として建てられたときいた
この地の者は勝姫の従者だったという
その家は地頭と言う屋号で呼ばれていたが
この宝剣宮は建立当時の当主
入澤信夫氏を発起人として建てられたときいた
この地の者は勝姫の従者だったという
言い伝えが残っている