エバーグリーン (いつまでもあほい)

酒と映画と本を愛し 音楽なら何でも
名前と同じで気(木)が多い

今更だけど
人間到る処青山有り  

撫川城は庭瀬城

2020-08-03 07:24:23 | Weblog

今 小学生のお城博士栗原響大君が

マスコミに引っ張りだこだが

今朝はオイラも城マニア?

今朝も梅雨が明けたにしてはどんよりした空

少し蒸すが早朝なので暑くはない

家から真南に走って早島へ

桜で有名な早島公園の坂を登った

標識に城山とある

ここは城山なんだと再認識

金比羅往来の旧道を東へ妹尾の手前を

足守川沿いに真北に走る

直ぐに庭瀬だ

住宅街の迷路のような道を巡る

自転車に通れぬ道はない

車では来にくい庭瀬城へ

本当に小さな祠のような城跡だった

そこから数十米

ラジオ体操は終わったようで

子供たちが

散会している公園があった

なかなか大きな門がある

撫川城趾公園とある

野面積みの石崖も残っている

堂々たる沼城の跡だ

何で庭瀬城より撫川城址のほうが大きいのか

庭瀬の戸川氏は早くに無嗣断絶になり

(無嗣断絶=お世嗣なしでお家断絶)

撫川の一族の方が本家を継ぎ旗本として明治まで続いたせいだろうか?

撫川城も庭瀬城の一部だったという事

すぐ近くに30年以上住んでいるのに

知らなんだ行かなんだ城なんだ???

戸川家六流(分家)

庭瀬 撫川 早島 妹尾 中島 帯江

戸川家の祖 戸川達安の子 秀安は

関ヶ原の戦いの折あの島左近を討ち取ったとされている

 

 

 

 

 

 

コメント
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