自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆コロナ禍「ふるさとは遠きにありて思うもの」

2020年08月04日 | ⇒ドキュメント回廊

   あと1週間もすれば旧盆だ。この時季は能登はにぎやかだ。観光客と帰省客がどっと訪れ、キリコ祭りといった祭礼も各地で盛り上がる。例年ならば8月の14日か15日に能登の実家を訪れて墓参し、キリコ祭りを見ながら親戚や旧友たちと杯を重ねながら近況を語る。真夏のこの光景を心に刻んで金沢に帰る。で、コロナ禍のことしはどうするか。

   「4月13日」の緊迫した状況ならば、帰省を見合わせざるを得ない。この日は、金沢市の10万人当たりの感染者が15.3人と東京都の13.6人を超えて全国トップとなったことから、石川県の知事が県独自の緊急事態宣言を出した。知事は「改めて危機感を共有し、社会全体が一致結束しなければならない」と不要不急の外出や移動の自粛徹底を要請した。この危機感のアピ-ルが奏功したのだろうか、いまは10万人当たりで金沢市は31.9人(8月2日現在)、東京都の96.7人(同)と比べると感染者数は増えてはいるものの随分とペ-スダウンしている。

   冒頭で述べた能登各地で執り行われるキリコ祭りは、今年ほとんどが中止となった。キリコ祭りは巨大な奉灯を1基当たり気数十人で担ぎ上げて街を練り歩く神事でもある。少ない地域でも数基、多いところは数十基もあり、金沢ほか遠来からの帰省客や観光客がキリコ担ぎや見学にやってくる。まさに「3密」を招くので、それを避けるための中止だ。つまり、「ことしは来てほしくない」という地元の人たちの正直な気持ちが痛々しく伝わる。キリコ祭りが行われる能登の6市町のうち、感染者ゼロは5市町だ。相手の気持ちを考えると気軽に帰省してよいものか。

   キリコ祭りを考えると、複雑な気持ちがもう一つある。能登は過疎高齢化の尖端を行く。帰省客らが来てキリコを担がないとキリコそものが動かせないという集落も多い。今回のコロナ禍でキリコ祭りを止めたことをきっかけに、来年以降も止めるというところが続出するのではないか。すでに、高齢化でキリコを出すことも止めた集落もあり、伝統祭礼の打ち止めに拍車がかかるのではないかと案じる。

   このキリコ祭りの日を楽しみに能登の人たちは1年365日を過ごす。帰省する兄弟や、縁者、友人たちを自宅に招いてゴッツオ(祭り料理)をふるまう。その後、夜を彩るキリコの練り歩きを皆で楽しむ。そのキリコ祭りがなくなれば、地域の活気そものが失われる。

   金沢出身の文人・室生犀星は『ふるさとは遠きにありて』の詩を詠んだ。今回はあえて帰省を止め、「帰るところにあるまじや」「ふるさとおもひ涙ぐむ」のか、あるいは「Go To ふるさと」か。迷いは続く。

(※写真は能登のキリコ祭りを代表する一つ、能登町「あばれ祭り」。40基のキリコが街を練る)

⇒4日(火)朝・金沢の天気     くもり時々はれ


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