自在コラム

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★帰らぬ拉致被害者 家族は無念の想い 能登での拉致1号事件から48年

2025年02月18日 | ⇒ニュース走査

  北朝鮮による拉致被害者の家族である有本明弘さんが亡くなったと報じられている。96歳だった。娘の恵子さんはロンドンで語学留学中だった1983年に北朝鮮に連れ去れたことが、「よど号」ハイジャック事件(1970年3月31日)の実行犯の元妻(日本人)が2002年3月に法廷で証言して明らかになった(Wikipedia「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」)。日本政府が「拉致」という言葉を使って問題としたのは、1988年3月の参院の質問で当時の国家公安委員長だった梶山静六氏が初めてだった。政府は1991年から水面下で北朝鮮に対して拉致問題を提起していたものの、当時は北朝鮮との国交正常化に重きを置いていて、拉致問題の表向きの対応は希薄だった。

  1997年2月に拉致被害者の家族による「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」が結成されると一転した。2002年9月17日、当時の小泉純一郎総理と北朝鮮の金正日国防委員長による首脳会談で、北朝鮮は長年否定してきた日本人の拉致を認めて謝罪。拉致被害者の5人が帰国した。2004年5月26日にも小泉総理が北朝鮮を訪れ首脳会談を行い、先に帰国した5人の家族が帰国することになった。

  政府は北朝鮮に拉致された被害者として17人(5人帰国)を認定しているが、さらに北朝鮮による拉致の可能性を排除できない871人に関して、引き続き捜査や調査を続けている(警察庁「拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」)。北朝鮮による拉致事件は終わっていない。(※写真は、政府の拉致問題対策本部公式サイトより)

  「拉致1号事件」は能登半島の尖端近くで起きた。能登町宇出津の遠島山公園の下の入り江は山が海に突き出たような岬で、入り組んだリアス式海岸だ。1977年9月19日、東京都三鷹市の警備員だった久米裕さん52歳と在日朝鮮人の男37歳が宇出津の旅館に到着し、午後9時ごろに2人は宿を出た。怪しんだ旅館の経営者は警察に通報した。旅館から歩いて5分ほどの入り江で、男は外国人登録証の提示を拒否したとして、駆けつけた捜査員に逮捕された。久米さんの姿はなかった。

  しかし、当時は拉致事件としては扱われず、公にされなかった。その後、拉致は立て続けに起きた。同年10月21日に鳥取県では松本京子さんが自宅近くの編み物教室に向かったまま失踪(2号事件)。11月15日、新潟県では下校途中だった13歳の横田めぐみさんが日本海に面した町から姿を消した(3号事件)。

    拉致問題をめぐっては、2002年9月と2004年5月の日朝首脳会談で拉致被害者5人とその家族が帰国したことで、北朝鮮は「拉致問題は解決済み」との主張を変えていない。有本明弘さんは長年にわたって運動を続けてきたものの恵子さんの救出には至らず、無念な想いだったに違いない。政府には覚悟を持って被害者家族の無念の想いを晴らしてほしい。

⇒18日(火)夜・金沢の天気   くもり時々ゆき


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