犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

分去れの片への道

2019-08-12 12:07:11 | 日記

平成5年10月、美智子皇后は赤坂御所で倒れられ、その後半年のあいだ言葉を失われました。天皇訪中をめぐり、宮中保守派の猛烈なバッシングにさらされたストレスが原因と言われています。
葉山御用邸で天皇陛下、紀宮様と過ごされるなかで、美智子様に感銘を与えたのが、幼少期に親しんだ新美南吉の『でんでんむしのかなしみ』という童話だったと言います。

『でんでんむしのかなしみ』は次のように始まります。

一ぴきの でんでんむしが ありました。
ある ひ、その でんでんむしは、たいへんな ことに きが つきました。
「わたしは いままで、うっかりして いたけれど、わたしの せなかの からの なかには、かなしみが いっぱい つまって いるではないか。」
この かなしみは、どう したら よいでしょう。

でんでんむしは、友達のでんでんむしを幾人も訪ねて相談しますが、どのでんでんむしも同じように、「あなたばかりでは ありません。わたしの せなかにも、かなしみは いっぱいです。」と答えるばかりです。はじめのうちは落胆していたでんでんむしも、やがて、大切なことに気がつきます。そして、物語は次のように結ばれます。

「かなしみは、だれでも もって いるのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは、わたしの かなしみを、こらえて いかなきゃ ならない。」
そして、この でんでんむしは、もう、なげくのを やめたので あります。

美智子様がささやくように発する言葉を、天皇陛下も紀宮様も決して特別扱いするのではなく、ごく当たり前の日常会話として受けとめておられ、これが美智子様の心の支えとなって、回復へと向かわれたようです。
殻の中の「かなしみ」を無理やり共有しようとするのではなく、「かなしみ」を抱えたまま、普段通りの会話を紡ぎ出すことで「かなしみ」の底から、抜け出すことができたのではないでしょうか。

その2年後の平成7年は、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件と大事件が続発し、いやおうなく人の生死が目の前に立ち現れる年になりました。ちょうど戦後50年という節目の年でもあります。
その年の文化の日に、美智子様が詠まれたのが次の歌です。

かの時に我が取らざりし分去(わかさ)れの片への道はいづこ行きけむ

あの大きな人生の岐路で、私が選ばなかった方の別の道は、私をどこに導いたのだろうか。人生の折り返し地点を過ぎ、過去のあり得た可能性に想いを馳せ、感傷に浸る歌という風に解されるところです。

わたしはしかし、この歌を「強い歌」だと思います。
読みようによっては、ふたたびバッシングの引き金にもなりかねない歌を通して、美智子様は「今」をこそ詠もうとされたのだと思います。「片への道」に続く自分もきっと大きな「かなしみ」を抱え込んで生きていただろうけれども、それにもかかわらず、人々と言葉を紡いでいるだろう。今まさに、それとは別の今の「かなしみ」を抱えながら紡ぎ出す言葉を愛おしく思う。

日々の出来事のひとつひとつを詠むのではなく、今の自分を包む世界そのものを、まるごと捉えるためには、もう一つ別の視点が必要です。
この世界を選び取ったことが可能性のひとつであることを認識すれば、一瞬だけ今の世界から一歩外に出ることができます。今の自分の世界は、そうすることで大震災で命を取り留めた人の世界にも通じることができます。
美智子様は、万葉集の力強さに通じる名歌を詠まれます。そういうもののひとつとして、この歌を解したいと思います。

コメント (1)
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