犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

ひとを懐かしむこと

2022-10-13 22:04:26 | 日記

大濠公園で開催される秋季茶会で、今年はわが社中が濃茶席を受け持つことになり、その準備に追われています。

数年前、はじめて大寄せの茶席で薄茶点前を任されたときには、相当に緊張しました。建水を持って立ち上がった瞬間、軽く足がつって肩の力が抜けたのが、かえって幸いしたのかもしれません。その時は、大きな失敗もなく点前を終えることができました。それから、正客の方が終始にこやかな笑顔で接してくれたことが、大きな支えになりました。
あの正客の笑顔をひとことで表現すると「懐かしさ」になると思います。その場に包まれるような感覚、場に身をゆだねても大丈夫という感覚を「懐かしい」と感じました。

数学の独立研究者である森田真生の最近著『偶然の散歩』(ミシマ社)のなかに「懐かしさの場所」という一文があり、読んでいてその当時のことを思い出しました。森田の言葉を引用します。

懐かしさとは、郷愁(ノスタルジア)と同じではない。過去や記憶と結びつかない懐かしさもある。初めて出会う人や場所に対しても、人は「懐かしい」と感じることがある。
生まれたばかりの赤子は、親の顔を懐かしそうに見上げる。「懐(なつ)く」という言葉もあるが、自分が何かに属していると実感すること、あるいは、自分が、自分を超えた何かの一部であると安心すること。そういうときに、人は「懐かしい」と感じるのではないか。(前掲書105-106頁)

森田は別のところ(『僕たちはどう生きるか 言葉と思考のエコロジカルな転回』)でも、アメリカの環境哲学者ティモシ―・モートンのattunement(調音)という概念を引用して、自分を超えた何かと響きあうことを語っています。
弱さは存在の欠如ではなく、存在そのものが弱いものなのではないか。月を見あげて心動かされるのも、花を見て嬉しくなるのも、幼子の笑顔を見て微笑むのも、弱さに支えられたattunement(調音)の働きではないかと。

森田が「調和」ではなく、モートンの言葉を使って「調音」と表現しているのに注目したいと思います。調音には弱いものが、より大きなものと響きあうための静かな時間が必要です。人が人を「懐かしい」と感じるのにも、波長を合わせるための、静かな時間が必要であるように。
それは、柳宗悦が『茶道論集』で語った、意味の凹みに余韻や暗示を感じ取って、自らを開いてゆく姿と、似てはいないでしょうか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする