先日、NHK教育テレビで裏千家家元千宗室が話をしておられたのを観ました。そのなかで、家元は「一陽来復」という言葉を引いて、炉開きの頃の茶人の心映えに触れておられました。
「一陽来復」とは、陰暦の十一月、冬至の日に一つ陽が来て、もとに復していくところを表す言葉です。寒さが厳しくなるなかで、一日ごとに日が長くなるように、今日より明日を良きものにしようという、いわば励ましの言葉でもあります。
悪いことばかりが続いて、これからは良いことしか起こらないと、自分に言い聞かせるような開き直った気持ちをも表すこともあり、まさに今、力づけられる言葉を聞いたと思いました。
日が長くなる上り坂の始発の日は、しかし下り坂の始発の日から続いていることも、思わずにはいられません。
一日が過ぎれば一日減ってゆく君との時間 もうすぐ夏至だ
(永田和宏『夏・二〇一〇』)
妻河野裕子に乳癌の転移が見つかり、この一首を詠んだときには、もう抗癌剤も効かなくなり始めていました。このときの心境を永田和宏は、残された時間が楽しければ楽しいだけ、残された時間が一日ごとに減っていくのを痛切に感じる、と語っています。「引き算の時間の残酷さ」とも。
冬至と夏至とが回り灯篭のように回転している姿を想像していると、こんな俳句に出会いました。
冬至夏至けふは夏至なる月日かな
(及川貞)
及川は「馬酔木」婦人会を結成するなど、多くの女流俳人を生み出す礎を作った人で、生涯を家庭の主婦として通しました。その私生活は三人の子を亡くすなど、必ずしも明るいものではなかったようです。
「冬至夏至」という上句は、そういう日常の達観のようなものから、ひねり出されたように思います。