茶人にとって、五月は大きなスタートの時期です。
茶室の炉は閉じられていて、その代わりに風炉が設えてあり、十月までの半年間はこの風炉の稽古が続くのです。
十一月の炉開きのように、着物を着て「炉開きおめでとうございます」と寿ぐわけでもありません。しかし、気がついたら部屋の設えが変わっている五月の「初風炉」のほうに、私はより気持ちの改まる思いがします。
おそらく、年度変わりの仕事の繁忙期に重なるために、私自身、色々なものと折り合いを付けながら、変化について行く必要に迫られるからだと思います。
博士課程を修了し、この春遠方の大学の研究室に勤めることになった女性が、連休最後の週末、初風炉の稽古にわざわざ来ていました。Uターンラッシュで満員の新幹線に乗っての強行軍です。来年には、お茶名をいただく予定なので、何度か帰省しては稽古をするのだと言っていました。彼女も研究者としての生活と、お茶の季節とを折り合いを付けながら、これからの長い年月を重ねていくのでしょう。
職業的に茶道に関わるのでない限り、お茶は生活のその他の部分と、上手く共存しなければなりません。仕事や家事や子育てなどと、お茶の世界との関わりをいい加減にやり過ごすのではなく、その両方を楽しむことができれば、その人は本当の意味での茶人なのだと思います。
現代を代表する歌人であり、細胞生物学者としても優れた仕事をされている、永田和宏さんがこんなことを書いていました。
若い頃は、歌人と科学者の両方に情熱を傾けていることを、自分のなかで矛盾なく受け入れることができず、二足の草鞋は自らを縛る縄のようなものであった。ところが、五十歳を越えたあたりから、吹っ切れるようになったのは、何の関係も必然もない二つのことを、ともかく数十年重ねてきたことが、自分の人生の時間そのものだったのだと、思えるようになったからなのだと。歌人の自分が科学者の自分を眺めたり、その逆であったりという経験が、自分の人生に「風通しのよさ」をもたらしてくれたのだと語っていました。
ひとつの領域にがんじがらめになっている自分を、そんなこと小さい小さいと言ってくれる自分がいるだけで、人はどれだけ自由になれるでしょう。「風通しのよさ」は自由の息吹です。伴走者自身が優れたランナーであり、伴走者もその支えるべきランナーを頼りにするような、そういう力強く走る人の姿を想像しました。