月の自転周期は、公転周期と一致しているので、地球からは月の片方の面しか見ることができません。しかし太古の月、人類が登場するずっと前の月はもっと速く、くるくると自転していたといいます。その時代に遡ることができれば、地球からは月の色々な面を見ることができるのでしょう。
ところが、地球の及ぼす潮汐力のために、月の自転にブレーキがかかります。このブレーキは月の自転周期が公転周期と一致するまでかかり続けて、ついに月はピタリと同じ側面だけを地球に向けるようになります。この現象を「潮汐ロック」というのだそうです。そして、多くの衛星でこの現象が見られるといいます。
伊与原新著『月まで三キロ』(新潮文庫)で知りました。
三十年来の友人と飲んでいて、この月の潮汐力をふいに思い出しました。友人といっても彼は私より十歳も若く、今が脂の乗り切った働き盛りです。両方の共通点は歳をとって子どもに恵まれたことで、子どもに対する距離感がうまく取りづらいところも一致しているのではないかと思います。そして遅くにできた子に対する親の常として、子どもに対する煩悩は、救い難いほど深いのです。
小学生と幼稚園の娘さんのキックボードに乗った動画を、スマホで見せてもらって、ああこれは太古の月のようだと思いました。子どもたちはくるくると自転して、楽しいこと、悲しいことをそのままの表情で見せてくれます。うちの娘たちにも間違いなくこういう時期がありました。
私は大学のホームページのゼミ紹介に載っている娘たちの写真を見せて、月の「潮汐ロック」を連想しました。娘たちはある時期から、親の知らない顔を持って、そこで彼女たちなりの喜びや悲しみの表情を見せているのだと、改めて思います。
さて、月の潮汐力の影響は「潮汐ロック」にとどまりません。月も地球に潮汐力を及ぼしていて、地球の自転にブレーキをかけています。その反作用で月の公転が加速され、月に働く遠心力が増して、その公転軌道が大きくなっていきます。つまり、月は地球から少しずつ離れていくのです。
考えても愉快なことではないのですが、娘たちも自然の摂理に従って、親から少しづつ離れていきます。今くるくると様々な表情を見せている子どもたちも、やがて表情を落ち着かせるようになり、その同じ摂理で親から遠ざかっていくのです。
カウンターに座って酒を飲んでいる友人も私も、まるで衛星を抱えて宇宙をただよっている惑星のようだと思いました。