少し前の話ですが、クライアントの周年行事で、思いがけずスピーチをすることになりました。もともと挨拶する予定の方が、身内のご不幸でそれが叶わなくなり、直前にお鉢が回ってきたというわけです。とはいえ、元来裏方に属する稼業なので、晴れやかな舞台での挨拶は不慣れなのです。
こういう話が回ってくるうちが華なのだと思うようにしていますが、今年はどうも無茶振りでお役が回ってくることが多いように思います。利休忌の大寄せの茶会の席では、男性であるというだけの理由で、正客をなかば強引に引き受けさせられ、往生しました。
決して出来の良いスピーチではありませんでしたが、今は亡き創業者のお話をすることは、私にとって誇らしいことでした。出席者のうち半数以上が創業者をご存じないとのことだったので、その人の「後ろ姿」が伝わるような話をしようと思いました。
松下幸之助の言葉で私の好きなもののひとつに、「成功する人が備えていなければならない三つのもの」という話があります。成功する人には「愛嬌」「運が強そうなこと」そして「後ろ姿」が備わっているのだと。
このなかで、私が最も惹かれるのが「後ろ姿」です。後ろ姿とは、その人の言葉の裏にどのような想いが秘められているのか、思わず想像が膨らんでいくような、そんな雰囲気を醸し出していることを指しています。言い換えると、自分がどうにかしなければいけないと思わせて、ついついその人のために動いてしまう、そういうものが人を結果的に成功させるというのです。
スピーチでは、その創業者が会議室に入ってくるときの様子を話しました。「差し入れのケーキを持ってきたぞ」と言って入ってこられ、会議に加わるわけでもなく、黙って座っておられた姿です。事業承継の話など、現役で活躍している経営者にとって愉快なはずがありません。初めのうち会議に加わらなかった方が、そうやって徐々に話に顔を出してくださるようになりました。俺は死ぬまで現役だけれど、死んだら変なことにならないようにしてくれよと、後ろ姿で語っておられました。
実際、ご病気で他界されるまで第一線で陣頭指揮を取られた、見事な経営者でした。
河合隼雄の「たましい」について当ブログで触れたのは、実はスピーチ原稿を書きながら、亡くなった方の「後ろ姿」に触発され自分自身が賦活されるように感じたからです。そして、同時にこれは「無茶振り」の効用なのだとも考えました。