濃茶の稽古では、見込みの深い「井戸茶碗」を使うようにしています。前回触れた、器の「深さ」と「重さ」をともに感じることのできる茶碗だからです。楽茶碗と異なり古帛紗(こぶくさ)という小布を使うので、点前に一手間が加わるのですが、ここに亭主の懐中の品を一時的に拝借するという「分かち合う」作法が加わります。
柳宗悦は、楽茶碗を作為の産物として嫌い、朝鮮の無名の陶工が作った井戸茶碗をこよなく愛しました。
このあたりの事情は、阿満利麿著『柳宗悦 美の菩薩』(ちくま学芸文庫)に、詳しく描かれています。
同書によると、柳宗悦の美の理想は、阿弥陀の発願にまで遡ります。阿弥陀がまだ法蔵という修行僧だったとき、四十八の発願を立て、もしそれらが成就しなければ自分は決して仏にはならないと長い修行に入りました。ついにその願いのすべてを実現して阿弥陀という如来となり、自ら作った国土すなわち西方極楽浄土で説法をしているのです。釈迦が仏法を説くはるか昔の話です。
柳宗悦は、この阿弥陀仏の立てた四十八願のうちの、第四願に注目しました。
阿弥陀仏の国にあっては、その住民は、形や皮膚の色が異なることなく、美醜の区別もないそういう国土にしたいという願が四願です。仏教の「業」の考えがインドのカースト制度と妥協して、容貌の美醜や男女の区別を「前世の業」の結果としてしまった状況とは、およそ遠いところにある考え方です。
以下、前掲書から引用します。
第四願もまた、美醜にわかれ、美をよしとし醜を憎む苦しみから人間を救おうというのである。分別心にとらわれ、さかしらな判断で、現実を美と醜に分け、そしてその差別にとらわれて苦しむ人間の愚かさを、そのまままるごと救いとる、というのである。美しいものはもとより、醜もそのままで一挙に「不二美」の世界に至ることができる。いや、必ず「不二美」の世界に至らしめると誓っているのが阿弥陀仏なのである。柳宗悦が注目するのは、この不思議な救済力なのだ。(139-140頁)
意図して美しいものを作る芸術的天才ではない、民衆の芸術を生み出す無名の職人を、柳宗悦は「他力の行者」と呼んで、この第四願の実現を見るのです。本阿弥光悦や楽長次郎といった天才の作品を、名もない朝鮮の職人たちが生み出した井戸茶碗が、その美しさにおいて遥かに凌いでいるのは、人智の及ばぬ力のなし得ることなのだ。こう柳宗悦はとらえました。
分別心からの解放を自由と言い、その自由の境地においてのみ美に直接に触れることが可能ならば、美はものの属性などではなく、それが開示される条件が整ったときにのみ来迎する、光のごときものでしょう。柳宗悦の言う「不二美」とは、美醜の区別のない世界を希求する心に響き、その響きに応じて感受されるものなのだと思います。
器に関して言うならば、その「深さ」や「重さ」にのみ注目すると「分別心にとらわれ、さかしらな判断で」その優劣を語ることができるでしょう。しかし、それを「分かち合うこと」は、そうした人工、作為から脱却することに通じます。柳宗悦の求めた民藝の美とは、そうしたものでなかったかと思います。