犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

デニー・ブラウンの知らなかったこと

2025-03-02 10:02:15 | 日記

小川洋子の、おすすめ本を紹介するエッセイ集『博士の本棚』に、次のような言葉を添えて紹介された本があります。

素晴らしい短編小説に出会うと、自分だけの宝物にしたくなる。小さいけれどしっかりした造りの宝石箱にしまい、他の誰も知らない場所に隠しておく。

『デニー・ブラウン(十五歳)の知らなかったこと』という『巡礼者たち』(エリザベス・ギルバート著 新潮文庫絶版)に収められている短編のことを評したものです。この短編は、物語のほぼすべてが、アメリカ中西部に住むデニー・ブラウンという少年が「知らなかったこと」を列挙することに費やされます。こんな具合です。

デニーの母親は「やけど専門の看護師」で、これまでどれほど悲惨な現場に立ち合ったか、にもかかわらず、彼女の毅然とした態度で患者や同僚がどれほど力づけられるか、デニーは知りません。朝鮮戦争に従軍して以来、母が精神のバランスを崩していることをデニーは知りません。

デニーの父親は「訪問看護専門の看護師」で、精神科医を目指していたにも関わらず、今の仕事についていることに、割り切れない思いを抱いていること、それでも彼の仕事ぶりは誠意に満ちていることを、デニーは知りません。

デニーはいじめられっ子でしたが、あるきっかけでいじめっ子だったラッセルと友達になります。それまで、ラッセルもまた人から蔑まれる存在であることを知りませんでした。
一方、ベビーシッターをしているラッセルの姉ポーレットは、訪問先の家でデニーの父親と会い、そこでの誠意に満ちた仕事ぶりを見ることで、デニーに興味を持ちます。そういう事情をデニーは知ることもなく、デニーとポーレットは恋人同士となるのですが、デニーとしては年上の女性に誘われて狐につままれたような気分です。

ある日、ポーレットがひどい水ぼうそうで苦しんでるのを知ったデニーは、彼女の家に出向いて、彼女の手を引きバスタブに連れて行きます。デニーは自分が水ぼうそうに罹ったときに父親がしてくれた治療を、そのまま彼女に施すのです。デニー・ブラウンは知らないことだらけの少年でしたが、ためらいもなく、そうしてあげることはできました。

たったこれだけの、特に起伏のない話なのですが、読む者は「何も知らない」デニーが、魂の深奥にふれる何かを知ることができたことを知ります。

デニーは世の中の事情を何もかも知っていて、計算尽くの行為をするのでもなく、そうすることで、誰にも成し得ない善行を施したと賞賛されることを狙うのでもありません。
デニーはそんな、いじましい少年ではありません。知らなかったことの、ひとつひとつが、いつのまにか、自然に人を助ける行為の素地となっているのです。

ましてやデニーが、助けを求める者に向かって対価を求めたり、「助けてあげたから感謝をしろ」と言い立てることは、あるはずもありません。
ちなみに、短編集のタイトル『巡礼者たち』の原語は“Pilgrims”であり、メイフラワー号で自由の国を目指した、ピルグリム・ファーザーズの精神を表しています。


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