夕方の散歩道にヤマボウシの白い花が咲いています。
木を覆いつくすように花が咲くので目を引くのですが、どこか寂しげな印象を与えるのは、飾らない端正な花がまっすぐ四方に伸びる様子からでしょうか。この「花」のように見えるものは、実は蕾をつつむ葉が変形したものなのだそうで、そう言われて花をながめると、なるほどとも思います。
見た目に劣らず、名前も地味なこの木は、私にとってなじみ深いものです。数年前のこの時期、妻と散歩の途中に、この木の名前を教えてもらい、さほど日を置かずに同じ質問をして、あきれられてしまいました。そのとき名前の由来とともに、改めて教えてもらったので、この花の名前は頭の中にしっかりととどまっているのです。
ヤマボウシは比叡山延暦寺の僧兵(山法師)のことを指し、白い頭巾姿の僧兵を想起させることから、この名前が付いたのだとのこと。可憐さ、清楚さといったものとは程遠い名がつけられるのは、気の毒なような気もします。
美智子上皇后の歌に、この花を詠んだものがあります。
四照花(やまぼうし)の一木(ひとき)覆ひて白き花咲き満ちしとき母逝き給ふ
昭和63年5月にお母様を亡くしたときの歌です。この翌年1月、昭和天皇が崩御され美智子妃は皇后になられます。白頭巾の山法師が立ち尽くすように故人を見送る佇まいが、ちょうどこの花の印象と響きあって、秀逸な挽歌となっています。今は「ねむの木の庭」という公園になった正田邸跡に、ゆかりの木とこの歌を刻んだプレートが残されているのだそうです。
桜やツツジのように咲き誇る花とは違う、ヤマボウシには慎ましやかな魅力があります。風雨に負けないように花弁の代わりに葉を変容させたのだとすると、強くあろうとする木なのだと言うこともできるでしょう。風雨に耐えるこの時期の花が、あたかも人に寄り添うように静かに立っているのは、慈雨にも似た自然の恵みのように感じます。