利休の庭に見事な朝顔が咲いている、という噂を聞きつけた秀吉は、それでは見に行こうと、朝から利休の屋敷へ向かいます。どんなに丹精こめた朝顔が見られるだろうと楽しみにしていた秀吉でしたが、どこにも花は見当たりません。訝しんだ秀吉が茶室に入ると、床にたった一輪の朝顔が生けてありました。
たった一輪の花が醸し出す侘びの世界を演出するために、利休は庭の朝顔の花をすべて摘み取っていたのです。
これが有名な利休の「朝顔の茶会」です。
この朝顔が、今で言うアサガオではなく、ムクゲだったという説があります。アサガオは中国から渡来した新参者で、朝顔と言えば長い間ムクゲだったからです。朝顔という語はもともと「朝に咲く花」というほどの意味で、時代によって指し示す花の種類が違います。少し話が脱線しますが、わが国の「アサガオ」の歴史を概観してみます。
万葉集に詠われる朝顔は、明らかに「桔梗」を指しています。
朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけれ
(作者不詳『万葉集』)
夕方にこそ美しさが際立つので、これは桔梗の花を詠ったものです。
奈良時代に「ムクゲ」が渡来して、朝顔は「ムクゲ」を指すようになります。『源氏物語』の「朝顔」の巻の「あさがお」は注釈書で「槿(ムクゲ)」の字が当てられています。
平安初期に薬草として中国から渡来した今で言う「アサガオ」は、薬草名で「牽牛(けんご)」と当初呼ばれており、次第に「朝顔」と呼ばれるようになります。今の「アサガオ」がしんがりに登場となるわけです。
利休の「朝顔の茶会」の話に戻ると、時代背景に照らしても、たった一輪残された花の侘びた風情という観点からでも、ムクゲのほうがふさわしいようにも見えます。
しかし、利休の孫宗旦の弟子筋が著した『茶話指月集』には「朝顔の茶会」のことが記されていて、そのなかに次の記述があります。
「宗易庭に牽牛の花みごとに咲きたるよし、
太閤へ申しあぐる人あり」
朝顔を「牽牛」と呼んでいることから、この記述が正しいとすれば、朝顔の茶会には「ムクゲ」ではなく「アサガオ」が生けられていたことになります。
私はと言えば、今で言う「アサガオ」の花を当てはめる方が好きです。紫のアサガオの生垣の前に、大柄な利休が仁王立ちして、つる草のアサガオを一気呵成にむしり取っている姿。そこには花の生命に対する、そして美そのものに対する畏れがあり、それらを振り切るように、利休の茶の湯への情熱がほとばしるのを感じます。
計算され尽くした詫びの形式を、淡々と披露しただけなのならば、それはこれ見よがしの作為ではないか、とも思います。そんなものではない、畏れも、驚きも、湧き上がる情熱も、それら一切が伝わるような利休の姿を思い描くのならば、やはり、つる草のアサガオではなければと思うのです。