茶花の少ない季節には有難いことに、わが家の庭には水仙の花が賑わっています。きれいに伸びた一本を、お茶の稽古のために持っていきました。
唐銅の花入に活けていただくと、稽古場全体が引き締まった雰囲気になります。
黄いろなる水仙の花あまた咲きそよりと風は吹きすぎにけり(古泉千樫)
真中の小さき黄色のさかづきに甘き香もれる水仙の花(木下利玄)
水仙の花は近世以降の短歌には頻繁に姿を現しますが、古い歌に詠まれることは稀です。水仙がわが国に到来するのが平安末期と比較的新しく、大和言葉で呼ばれることがなかったため、歌に詠まれる機会が少なかったのだそうです。
ギリシア神話にも登場する水仙は、もともと地中海地方の原産で、それがはるばるとシルクロードをたどって唐に渡ると、水辺の仙人になぞらえて「水仙」と名付けられました。
時代がさらに下って、大陸から黒潮や対馬海流に乗って漂着したものがわが国の海辺に自生して、それが大陸で付けられた名前のまま愛でられるようになったのです。
地中海を出自とし、大陸の不思議な名前を持つ水仙は、エキセントリックな存在でもあったのでしょう。
水仙は唐銅など「真の花入」つまり最も格の高い花入に適した花とされるのも、この不思議な佇まいが原因ではないかと思います。
侘茶の祖と言われる村田珠光は、それまでの唐物中心の茶の湯の道具に、和物を調和させて新しい美をつくることを目指し、その姿勢を「和漢のさかいをまぎらかす」と言いました。境界を横断するように移動する水仙が、「さかいをまぎらかす」存在として認められているのかもしれません。
ナルキッソスはみずからに見惚れて、水鏡の向こう側の世界に行ってしまいました。考えようによっては、人を魅了しながら境界を移動する姿の原型が、ここにあるようにも思います。