犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

こどもの日に

2023-05-05 10:05:05 | 日記

こどもの日の今日、娘のひとりはバイトに出かけ、もうひとりは早々と街に買い物に出かけました。
酢を飲んだような気持ちとは、こういうことを言うのでしょうか。
引っ越す前の家は、道を挟んだ向い側が神社でした。神社の後ろは小さな古墳跡が三基連なる小山で、鎮守の森は小山と繋がっています。夜中にフクロウの声が聞こえるような深甚の森です。下草はきれいに刈り取られているので、葉の落ちた季節には木漏れ日がぽつぽつと模様を描いているのが、子供部屋のある二階の窓からよく見えました。
娘たちがまだ幼稚園ぐらいのとき、古墳跡の裏山に散歩に出かけて、その陽だまりのところに石を積んで、四基目の古墳だと言って遊んだのをよく覚えています。

娘たちが少し大きくなってから、そのことを話すと彼女たちも、あの時は楽しかったと言って笑っていました。
子どものときの記憶は、ほとんど無くなってしまいますが、それは知らぬ間に織物のように形を成し、わたしたちのかけがえのない一部になるのでしょう。

茨木のり子の詩にも、そのことを書いたものがあります。

こどもたち(茨木のり子『詩集 対話』)

こどもたちの視るものはいつも断片
それだけではなんの意味もなさない断片
たとえ視られても
おとなたちは安心している
なんにもわかりはしないさ あれだけじゃ

しかし
それら一つ一つとの出会いは
すばらしく新鮮なので
こどもたちは永く記憶にとどめている
よろこびであったもの 驚いたもの
神秘なもの 醜いものなどを

青春が嵐のようにどっと襲ってくると
こどもたちはなぎ倒されながら
ふいにすべての記憶を紡ぎはじめる
かれらはかれらのゴブラン織を織りはじめる

娘たちのゴブラン織が、彩り豊かなものであることを、親としては祈るのですが、そんな感傷めいた気持ちを吹き飛ばすような一喝が、その後に続きます。これが、さすがに茨木のり子なのだと思います。

その時に
父や母 教師や祖国などが
海蛇や毒草 こわれた甕 ゆがんだ顔の
イメージで ちいさくかたどられるとしたら
それはやはり哀しいことではないのか

軍国少女だった自分との決別を、茨木はいろいろな形で表現していて、ここでも戦争時代の思い出が影を落としています。この詩で鋭く指摘されているのは、大人たちの責任です。
大人たちの判断のひとつひとつが、子どもたちのゴブラン織の模様となって残る。そういう覚悟で、どっしりと大人たちはものを考え、行動しているだろうか。あまりにも分かりやすい正解を、性急に求めてはいないか。そのことが、茨木の詩から、そして子どもの目から問われているように思います。


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有田陶器市に行く

2023-05-01 22:32:22 | 日記

昨日、有田陶器市に行ってきました。
歩行者天国になっている道路は人で埋め尽くされて、コロナ前と変わらぬ賑わいを見せています。
陶器市は子どもたちが小学校低学年から欠かさず続けている家族の年中行事なので、2年前にコロナで中止になったときには、本当に寂しい思いをしました。

今年は病み上がりの妻のために、足の向くまま店に入るのではなく、訪ねる店をしぼり「今右衛門美術館」を覗いたりして、移動距離を短くしました。
今右衛門美術館には茶道具も多く展示されていて、にじり口のある茶室もしつらえてあり、ほぼ入館者もいないこともあって、落ち着いた時間を過ごすことができます。県の重要文化財に指定されている「青磁の水指」の薄青色は、吸い込まれそうな深みがあり、十四代今右衛門の考案した「雪花墨はじき文様」の皿などはいつまで見ていても飽きることがありません。
侘びの心を重んじる茶道では、有田焼が主役になることは少ないのですが、華やかな中に落ち着いた深みを醸し出す道具を見ていると、取り合わせ次第では侘びの心を十分に演出できるように感じました。

毎年の有田陶器市は、幼い娘たちを親の趣味に無理矢理つき合わせているように、ずっと思っていました。ところが娘たちが中学生の頃だったでしょうか、陶器市は自分たちにとっても連休の一番の楽しみだと言ってくれました。露店の棚一杯の小皿や箸置きを手に取って比べてみたり、自分たちの普段使いの食器を選んだりするのが、楽しいのだそうです。
今から思えば骨董が好きだった亡父が、小学生の私を何度か陶器市に連れて行ってくれたにもかかわらず、私はいつも、つまらなそうな顔をしていたように思います。私が親に返さなかったことを、親になった私に子が返してくれているようで、つじつまが合わないような、申し訳ないような気持ちになります。

福岡への帰路の高速「西九州道」は、ひたすら東に向かって走る変化の乏しい道で、眠気を払いながらここを運転するのも十数年変わらぬ私の役目です。妻は起きているように努力していますが時々寝ていて、娘たちはずっと気持ちよさそうに眠っています。こんなことでも少しは「つじつま」合わせになっているのかなどと、訳のわからないことを考えます。


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