youtubeの島根古代文化センターの「どこかで誰かに話したくなる島根の歴史 第1講」聞いていて、『出雲国風土記』の巻末に記されている枉北道の距離を計算してみました。
十字街から出雲郡家までの距離を足すと、99里110歩になる、とのことでした。
それで、パワーポイントに示されている数字を足してみたのですが、99里110歩になりませんでした。
枉北道 去北四里二百六十六歩 至郡北堺朝酌渡
又 北一十里一百四十歩 至島根郡家
(自郡家去北一十七里一百八十歩 至隠岐渡千酌駅家浜渡船)(資料に未記載)
又 自郡家西一十五里八十歩 至郡西堺佐太橋
又 西八里二百歩 至秋鹿郡家
又 自郡家西一十五里一百歩 至郡西堺
又 西八里二百六十四歩 至楯縫郡家
又 自郡家西七里一百六十歩 至郡西堺
又 西一十里二百二十歩 出雲郡家東辺 即入正西道也
総枉北道程 九十九里一百一十歩
※ 総距離:九十九里一百一十歩
手元にある中村啓信監修・ソフィア文庫『風土記』p223と比較してみると、赤字で記した部分が落ちていることに気づきました。
一十七里一百八十歩を足すと、ちょうど九十九里一百一十歩になりました。
で、めでたし、めでたし、となるはずでしたが、青字の部分の数字が違っていました
ソフィア文庫では、八里三百歩になっています。
中村先生のソフィア文庫も島根古代文化センターもともに細川家本を底本にしています。
影印本で確認してみると、八里三百歩でした。
八里三百歩で計算すると総距離は九十九里二百一十歩となってしまい、写本に記されている数字と合いません。
講師の橋本氏は、「不完全だとしても原本に存在した記述であれば修正すべきではない」と話しておられました。
が、残念ながら氏の意思に反して、例外も存在するようです。
一里は三百歩なので、八里三百歩ならば九里とあっていいはずなので、「八里三百歩」という書き方はおかしいとして誤りとして訂正されたのか?
さらに本文の記事では八里二百歩と記されており、総距離数も合うから?
島根県古代文化センター監修『出雲国風土記: 校訂・注釈編』が手元に届いたらどのような説明がされているか確認してみようと思います。
『万葉緯』を底本として刊行されている某本はどうなっているのかも確認してみました。
※ カッコ内は、萬葉緯本の記述
枉北道 去北四里二百六十歩(六十六歩) 至郡北堺朝酌渡渡八十歩
又 北一十里一百四十歩(三十歩) 至島根郡家
自郡家去北一十七里一百八十歩 至隠岐渡千酌駅家浜渡船
又 自郡家西一十五里八十歩 至郡西堺佐太橋
又 西八里二百歩(三百歩) 至秋鹿郡家
又 自郡家西一十五里一百歩 至郡西堺
又 西八里二百六十四歩 至楯縫郡家
又 自郡家西七里一百六十歩 至郡西堺
又 西一十四里(一十里)二百二十歩 出雲郡家東辺 即入正西道也
総枉北道程 一百三里一百四歩(九十九里一百一十歩)之中 隠岐道一十七里一百八十歩
※ 総距離:某本 一百三里一百四歩、萬葉緯 九十九里二百歩
かなり手が入れられています
上記のデータはネット上で公開されているテキストデータで、某本を基に入力されたものです。図書館で借りてきてデータに入力ミスが無いか確認して見たいと思います。
今日は終日雨で、散歩は中止。
昨日、夕飯は店屋物を取りました。お蕎麦屋さんでとるの十数年ぶりになるでしょうか?
天重、美味しかった~~。ただボリュームがありすぎて、海老天は1本食べるのがやっと!
たまには店屋物で楽をするのも良いですねぇ~~~
散歩のついでにお店に寄ってお品書き貰って来て良かった
十字街から出雲郡家までの距離を足すと、99里110歩になる、とのことでした。
それで、パワーポイントに示されている数字を足してみたのですが、99里110歩になりませんでした。
枉北道 去北四里二百六十六歩 至郡北堺朝酌渡
又 北一十里一百四十歩 至島根郡家
(自郡家去北一十七里一百八十歩 至隠岐渡千酌駅家浜渡船)(資料に未記載)
又 自郡家西一十五里八十歩 至郡西堺佐太橋
又 西八里二百歩 至秋鹿郡家
又 自郡家西一十五里一百歩 至郡西堺
又 西八里二百六十四歩 至楯縫郡家
又 自郡家西七里一百六十歩 至郡西堺
又 西一十里二百二十歩 出雲郡家東辺 即入正西道也
総枉北道程 九十九里一百一十歩
※ 総距離:九十九里一百一十歩
手元にある中村啓信監修・ソフィア文庫『風土記』p223と比較してみると、赤字で記した部分が落ちていることに気づきました。
一十七里一百八十歩を足すと、ちょうど九十九里一百一十歩になりました。
で、めでたし、めでたし、となるはずでしたが、青字の部分の数字が違っていました

ソフィア文庫では、八里三百歩になっています。
中村先生のソフィア文庫も島根古代文化センターもともに細川家本を底本にしています。
影印本で確認してみると、八里三百歩でした。
八里三百歩で計算すると総距離は九十九里二百一十歩となってしまい、写本に記されている数字と合いません。
講師の橋本氏は、「不完全だとしても原本に存在した記述であれば修正すべきではない」と話しておられました。
が、残念ながら氏の意思に反して、例外も存在するようです。
一里は三百歩なので、八里三百歩ならば九里とあっていいはずなので、「八里三百歩」という書き方はおかしいとして誤りとして訂正されたのか?
さらに本文の記事では八里二百歩と記されており、総距離数も合うから?
島根県古代文化センター監修『出雲国風土記: 校訂・注釈編』が手元に届いたらどのような説明がされているか確認してみようと思います。
『万葉緯』を底本として刊行されている某本はどうなっているのかも確認してみました。
※ カッコ内は、萬葉緯本の記述
枉北道 去北四里二百六十歩(六十六歩) 至郡北堺朝酌渡渡八十歩
又 北一十里一百四十歩(三十歩) 至島根郡家
自郡家去北一十七里一百八十歩 至隠岐渡千酌駅家浜渡船
又 自郡家西一十五里八十歩 至郡西堺佐太橋
又 西八里二百歩(三百歩) 至秋鹿郡家
又 自郡家西一十五里一百歩 至郡西堺
又 西八里二百六十四歩 至楯縫郡家
又 自郡家西七里一百六十歩 至郡西堺
又 西一十四里(一十里)二百二十歩 出雲郡家東辺 即入正西道也
総枉北道程 一百三里一百四歩(九十九里一百一十歩)之中 隠岐道一十七里一百八十歩
※ 総距離:某本 一百三里一百四歩、萬葉緯 九十九里二百歩
かなり手が入れられています

上記のデータはネット上で公開されているテキストデータで、某本を基に入力されたものです。図書館で借りてきてデータに入力ミスが無いか確認して見たいと思います。
今日は終日雨で、散歩は中止。
昨日、夕飯は店屋物を取りました。お蕎麦屋さんでとるの十数年ぶりになるでしょうか?
天重、美味しかった~~。ただボリュームがありすぎて、海老天は1本食べるのがやっと!
たまには店屋物で楽をするのも良いですねぇ~~~

散歩のついでにお店に寄ってお品書き貰って来て良かった

