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2年目の被災地 気仙沼から南三陸町へ

2013年03月15日 10時03分13秒 | 旅行
気仙沼で名物の「ふかひれ」を食べようと車を走らせました。

目に飛び込んできたのは津波で陸に上がった船でした。

漁港から750mも離れた場所に残された「第18共徳丸」。
    
朝日新聞には、鹿折駐在所があった場所に献花する男性の写真が載っていました。

右上奥が気仙沼港です。

気仙沼も街は消え、「ふかひれ」どころではありませんでした。

JR気仙沼線も橋脚だけが並んでいます。

鉄道の復旧もまだまだ先になりそうです。

南三陸町に入ると2周年の追悼式の看板が一番最初に目につきました。

南三陸町では死者611名、行方不明者231名の大勢の被害者がありました。

3階建て防災対策庁舎屋上を2mも上回る津波が襲いました。

避難誘導のため多くの職員が犠牲になった場所は見ただけで胸がいっぱいになりました。

「大津波警報が発令されました。高台に避難してください!」
防災無線の呼び掛けが、多くの命を救いました。
しかし、声の主の町職員遠藤未希さん(24)は2011年4月23日に遺体で発見されました。  
    
地震発生時刻の14時46分にはサイレンが鳴り響き、一瞬時間が止まったように感じました。
(右の写真は朝日新聞)

国道45号線、志津川付近です。

水門もまだ壊れたままでした。

近くの仮設住宅に寄ってきました。
 
追悼式参加のため、人影はありませんでした。

このあと松島、塩竃を経て仙台まで帰りました。
3日目は宮城県亘理に向かいました。