昨年7月29日に訪問した福島県富岡町へ再度出かけました。
2011年3月11日から3年め、原発被災地はどうなっているのでしょうか?
所属組合支部の仲間42人と一緒に訪問です。
池袋を7時半に出発して10時35分に常磐道高速道路の広野から福島入りをしました。
最初に目に入ったのはインターチェンジにある看板です。
「ようこそ 東北に春を告げる広野…ひろのへ」と出迎える看板は土埃で真っ黒でした。
除染で集めた草などは黒い袋に入れて…緑色のシートをかぶせていました。
放射能汚染廃棄物 黒い袋もあちこちで見受けられました。
楢葉町を通り、富岡町を進み、駅に入る歩道橋下には看板が置いてありました。
「この先帰還困難区域につき通行証のない車両は通行できません」
富岡駅周辺は地震と津波と放射能被害の地域です。
地震の時刻で止まった時計のある美容院
このアパートも手つかずのまま放置されていました。
屋根がズレ、崩壊が進んでいました。 昨年7月29日
富岡駅から海が見えました。(太平洋です)
震災前には駅と海との間にも住宅や店舗が立ち並んでいました。
車もひっくりかえったままの状態で放棄されています。
地震と津波だけだったら…きっと片付けられたのにと思います。
慰霊碑が設置されていました。 モニタリングポスト(放射線量を測定しています)
0.381μgy/nと表示されていました。
バスの進行方向に迂回指示や通行止めの看板が目立ってきました。
帰還困難区域につき通行制限中 通行止め
夜ノ森へ向かうバスの中では線量計のブザーが鳴り続いていました。
線量計…1.276μsv/hです。
バスは帰還困難区域を進んでいきます。
福島第二原発
小良ヶ浜の子安観音近くから4本の煙突が見えました。
誰も住めなくなったのは…どうして?と聞きたくなりました。
東北電力の電柱広告 「地域とともに」「子どもたちの未来のために」
この先と右側の住宅は帰還困難区域 左側は居住制限区域
夜ノ森の桜並木の道路です。
ゴーストタウンとなった町
突き当りは帰還困難区域 桜並木が奥の方まで続いていました。
右側も帰還困難区域 黄色い看板と柵がありました。
道路標識があっても、走っている車も歩いている人も見かけませんでした。
この車のタイヤはパンクしていました。
駅入り口の歩道橋に横断幕が掲げてありました。
「富岡は負けん!」
休業中のガソリンスタンドには支援の看板がありました。
「頑張ろう!富岡 復興を支援します」
富岡町を2回訪問して、手がつけられない原発被害に改めて憤りを感じました。
耐用年数3年の放射能汚染廃棄物の袋はただ置いてあるだけ。
処分できない、動かせない状況です。
袋に袋を重ね二重・三重にするつもりかしら?…と思いました。
福島の案内人から『多くの人にもっと知らせてほしい』と頼まれました。
写真はほとんどがバスの中からのもので、写したいものが撮れませんでした。
2011年3月11日から3年め、原発被災地はどうなっているのでしょうか?
所属組合支部の仲間42人と一緒に訪問です。
池袋を7時半に出発して10時35分に常磐道高速道路の広野から福島入りをしました。
最初に目に入ったのはインターチェンジにある看板です。
「ようこそ 東北に春を告げる広野…ひろのへ」と出迎える看板は土埃で真っ黒でした。
除染で集めた草などは黒い袋に入れて…緑色のシートをかぶせていました。
放射能汚染廃棄物 黒い袋もあちこちで見受けられました。
楢葉町を通り、富岡町を進み、駅に入る歩道橋下には看板が置いてありました。
「この先帰還困難区域につき通行証のない車両は通行できません」
富岡駅周辺は地震と津波と放射能被害の地域です。
地震の時刻で止まった時計のある美容院
このアパートも手つかずのまま放置されていました。
屋根がズレ、崩壊が進んでいました。 昨年7月29日
富岡駅から海が見えました。(太平洋です)
震災前には駅と海との間にも住宅や店舗が立ち並んでいました。
車もひっくりかえったままの状態で放棄されています。
地震と津波だけだったら…きっと片付けられたのにと思います。
慰霊碑が設置されていました。 モニタリングポスト(放射線量を測定しています)
0.381μgy/nと表示されていました。
バスの進行方向に迂回指示や通行止めの看板が目立ってきました。
帰還困難区域につき通行制限中 通行止め
夜ノ森へ向かうバスの中では線量計のブザーが鳴り続いていました。
線量計…1.276μsv/hです。
バスは帰還困難区域を進んでいきます。
福島第二原発
小良ヶ浜の子安観音近くから4本の煙突が見えました。
誰も住めなくなったのは…どうして?と聞きたくなりました。
東北電力の電柱広告 「地域とともに」「子どもたちの未来のために」
この先と右側の住宅は帰還困難区域 左側は居住制限区域
夜ノ森の桜並木の道路です。
ゴーストタウンとなった町
突き当りは帰還困難区域 桜並木が奥の方まで続いていました。
右側も帰還困難区域 黄色い看板と柵がありました。
道路標識があっても、走っている車も歩いている人も見かけませんでした。
この車のタイヤはパンクしていました。
駅入り口の歩道橋に横断幕が掲げてありました。
「富岡は負けん!」
休業中のガソリンスタンドには支援の看板がありました。
「頑張ろう!富岡 復興を支援します」
富岡町を2回訪問して、手がつけられない原発被害に改めて憤りを感じました。
耐用年数3年の放射能汚染廃棄物の袋はただ置いてあるだけ。
処分できない、動かせない状況です。
袋に袋を重ね二重・三重にするつもりかしら?…と思いました。
福島の案内人から『多くの人にもっと知らせてほしい』と頼まれました。
写真はほとんどがバスの中からのもので、写したいものが撮れませんでした。