日々進歩を願って!

思いついたことを気ままに書いています!

帰還困難区域…再び福島へ

2014年03月04日 08時00分19秒 | 日記
昨年7月29日に訪問した福島県富岡町へ再度出かけました。
2011年3月11日から3年め、原発被災地はどうなっているのでしょうか?
所属組合支部の仲間42人と一緒に訪問です。


池袋を7時半に出発して10時35分に常磐道高速道路の広野から福島入りをしました。
最初に目に入ったのはインターチェンジにある看板です。

「ようこそ 東北に春を告げる広野…ひろのへ」と出迎える看板は土埃で真っ黒でした。

除染で集めた草などは黒い袋に入れて…緑色のシートをかぶせていました。

放射能汚染廃棄物 黒い袋もあちこちで見受けられました。

楢葉町を通り、富岡町を進み、駅に入る歩道橋下には看板が置いてありました。

「この先帰還困難区域につき通行証のない車両は通行できません」

富岡駅周辺は地震と津波と放射能被害の地域です。

地震の時刻で止まった時計のある美容院

このアパートも手つかずのまま放置されていました。
  
屋根がズレ、崩壊が進んでいました。      昨年7月29日

富岡駅から海が見えました。(太平洋です)

震災前には駅と海との間にも住宅や店舗が立ち並んでいました。

車もひっくりかえったままの状態で放棄されています。
  
地震と津波だけだったら…きっと片付けられたのにと思います。

  
慰霊碑が設置されていました。            モニタリングポスト(放射線量を測定しています)
                                  0.381μgy/nと表示されていました。

バスの進行方向に迂回指示や通行止めの看板が目立ってきました。
  
帰還困難区域につき通行制限中         通行止め

夜ノ森へ向かうバスの中では線量計のブザーが鳴り続いていました。

線量計…1.276μsv/hです。

バスは帰還困難区域を進んでいきます。

福島第二原発 
小良ヶ浜の子安観音近くから4本の煙突が見えました。

誰も住めなくなったのは…どうして?と聞きたくなりました。
  
東北電力の電柱広告 「地域とともに」「子どもたちの未来のために」

この先と右側の住宅は帰還困難区域 左側は居住制限区域

夜ノ森の桜並木の道路です。
 
ゴーストタウンとなった町

突き当りは帰還困難区域 桜並木が奥の方まで続いていました。

  
右側も帰還困難区域 黄色い看板と柵がありました。

道路標識があっても、走っている車も歩いている人も見かけませんでした。

この車のタイヤはパンクしていました。

駅入り口の歩道橋に横断幕が掲げてありました。

「富岡は負けん!」

休業中のガソリンスタンドには支援の看板がありました。

「頑張ろう!富岡 復興を支援します」

富岡町を2回訪問して、手がつけられない原発被害に改めて憤りを感じました。
耐用年数3年の放射能汚染廃棄物の袋はただ置いてあるだけ。
処分できない、動かせない状況です。
袋に袋を重ね二重・三重にするつもりかしら?…と思いました。
福島の案内人から『多くの人にもっと知らせてほしい』と頼まれました。
写真はほとんどがバスの中からのもので、写したいものが撮れませんでした。