日々進歩を願って!

思いついたことを気ままに書いています!

再び閖上へ…

2016年05月03日 08時51分42秒 | 日記
疲れていたので熟睡、トイレにも起きず朝を迎えました。

4月30日は日の出を見ようと早起き、4時30分に目覚ましを設定しました。

志津川湾から昇る太陽

日の出を見て入浴、その後ホテルの前に出てみました。

道路標識  ウグイスが鳴いて、爽やかな朝でした。

8時半にホテル出発し、被災地の東松島野蒜地区に寄りました。

ボランティアガイドさんが説明をしてくれました。
ここは野蒜地区の中心街で、この場所はお寺と墓地でした。
すべてが流され、約500名が津波の犠牲、いまは居住禁止区域になっています。

道の駅津山でトイレ休憩。

枝垂れ桜  きれいに咲いていました。

山野草の販売もありました。
 
ヤマシャクヤク              エンレイソウ

こんなに可愛い手づくり人形を見つけました。(540円)

南三陸ばっぱの会の人形  吊るし雛になりそうです。
登米にある「道の駅」津山 もくもくランドで売っていました。

最後の視察場所に行く前に昼食のために塩釜に寄りました。
昼食のお店も津波被害があり、女将さんから話を聞きました。

塩釜のマンホール   このマンホールも津波にあったと思います。
市章と市の花シラギクのデザインでした。

私が再度訪問したかった閖上です。

閖上の日和山   ここに2013年に来ています。
名取市の犠牲者数は1027人で、そのほとんどが閖上地区に集中しています。

 
今年の日和山から見た風景              2013年3月の風景
ここは居住制限地域になり、もう住宅は建てられません。

日和山には神社が再建されていました。

2013年は土台の石があっただけでした。
議員さんの話と8か月の男の子が行方不明の夫婦の訴訟のお話を聞きしました。
閖上では防災無線が流されなかった…そのため多くの犠牲者が出たとのことです。

これは新しいものだと思います。

閖上のマンホール

バスから見える風景はどこでも盛土していました。

仙台東部道路・名取から高速に乗って一路池袋へ…。

防潮堤ができて、どこの町も海が見えない町になっていました。
そして盛土。盛土の町に人はいつ住めるのでしょうか?
瓦礫は取り除かれても、まだまだ復興は先の話。
被災者の方の『オリンピックどころじゃない』の声に胸が痛みました。
『熊本地震にも支援を』と言う被災者の優しさに応える国にしなくてはと思います。