ただ信じ込んでいるだけで、それを宗教だと仰る皆さんに一言、申したいと思います。
人間が口にする食べ物でも、人によって身に着き方が異なります。
血と成り、肉と成るのは食べたものが!きちんと消化し必要な栄養を吸収してこそ身に成るのです。
目や耳から入る知識も同じです。目や耳から入る情報を、何の吟味も検証も無く、ただ頭に留め置くだけなら、その情報は血にも肉にも成りません。
ひたすら神社、仏閣に出向いて宝くじが当たりますように願うのを宗教だと仰る日本の皆さんと同じです。
その信じ込みや思い込みは、宗教でもなく思想でもありません。
世界に溢れる、この妄想、幻想を宗教だと勘違いしていることには気付けない哀れな世界の信者達なのです。
この妄想、幻想は思想でも宗教でもないのです。この思い込みを宗教だと信じ込んでいる人は、日本の欲にまみれた御詣りと何の違いが在るのでしょうか?
人間に、もっと本当の思想や宗教を持って欲しいのです。それは目や耳から得た情報を鵜呑みにして思い込むだけの妄想では駄目なのです。
少しでも多くの人達が、自分の思想や宗教を身に着けて欲しいのです。
キリスト教もイスラム教も、日本人の神社、仏閣詣りも皆、同じです。
それを自分の思想だ、宗教だと仰る皆さん!それはそれで、悪いとは言いません!
気付かない嘘は嘘ではないからです!何千年も騙され続けて来た人達には、それが幸せなのでしょう!
どうぞ沢山、寄付をして立派な大聖堂を建て直して下さい!
そのスガリ付きが、あなたの幸せなら、それも悪くはないでしょう!
情報を鵜呑みにして、垂れ流すだけの人生で幸せなのですから、そんな幸せなことはありませんよね!
ただ膝ま付き"アーメン"とお祈りする宗教も宗教の内でしょう!
神、仏の前では、ひたすら従順であることを素晴らしいとするだけの宗教は、私から見れば宗教を道具とする強者どもの夢の跡でしかありません。
人間が真実に目覚めて人間の本当の幸せを感じる時が、大切だと信じ信じる私とは大変掛け偏立った考えなのです!
真実を知って目覚める時、こんな真実なら目覚めなければ良かったと、がっかりする人も沢山居ることでしょう!
それは科学や芸術も同じです。人は皆、独り善がりなものなのでしょう! 私には解らない想いです。
何を幸せと思い、何に宗教を感じるか?は人それぞれですから仕方ないことですね!
こういう私には、ユネスコの世界遺産の価値が解りません。芸術員の賞の価値も解りません!
子供達が、校長からされて喜ぶ表彰状と何処が違うのでしょうか?
表彰されたから価値が有るのか?認定されたから価値が有るのか?
結果、この表彰に着いて回る付加の価値が有るから価値が有るのでしょう!
本当の価値って何なのでしょうか?