2歳年上の知人が、亡くなった。
昨年の末頃に、「病気で、長くないらしい」と、人づてに聞いていたので、
「もう、逝ってしまったのか」と冷静に受け止めた。
何人かの知人、友人、家族の訃報を受け取ってきた。
知人の死亡を家族からいただいて、仲間に連絡の電話をかけたことがあった。
笑顔が思い出されて、電話口で言葉につまり、話ができなくなったことがあった。
なんとか、冷静を取り戻して、お通夜や告別式の日取りを伝え受話器をおいたものだった。
事前に、耳にしていた場合は、結構、冷静に聞けるものだと思った。
実母をなくした時は、病院に駆けつけて、少し黄色くなった顔をみたら、波が押し寄せるかのように、人目を気にするどころでなく泣きじゃくってしまった。
そして波が引くように、冷静に戻っていくのを感じた。
不思議な感情だった。
実父の時は、家族に連絡する時、涙があふれて言葉に詰まった。
それ以後は、結構冷静に対応していたものの、火葬場で、窯のなかに入っていくのを見送っていたら、堪え切れなくなって、その場を離れた。
やっぱり、知人を見送るのは辛い。
ドラマでも、ついつい、もらい泣きしたり、ぼろぼろこぼれる涙を止めるのに困ったりしてしまうことがある。
順番ではあるけれど、見送るのは、嫌なもの。
最近では、「早死には嫌だ。でも長生きもしたくない。そこそこ生きればいい」と思う。
合掌。