ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

訃報

2011-03-11 13:10:21 | 日記

2歳年上の知人が、亡くなった。

昨年の末頃に、「病気で、長くないらしい」と、人づてに聞いていたので、

「もう、逝ってしまったのか」と冷静に受け止めた。

何人かの知人、友人、家族の訃報を受け取ってきた。

知人の死亡を家族からいただいて、仲間に連絡の電話をかけたことがあった。

笑顔が思い出されて、電話口で言葉につまり、話ができなくなったことがあった。

なんとか、冷静を取り戻して、お通夜や告別式の日取りを伝え受話器をおいたものだった。

事前に、耳にしていた場合は、結構、冷静に聞けるものだと思った。

実母をなくした時は、病院に駆けつけて、少し黄色くなった顔をみたら、波が押し寄せるかのように、人目を気にするどころでなく泣きじゃくってしまった。

そして波が引くように、冷静に戻っていくのを感じた。

不思議な感情だった。

実父の時は、家族に連絡する時、涙があふれて言葉に詰まった。

それ以後は、結構冷静に対応していたものの、火葬場で、窯のなかに入っていくのを見送っていたら、堪え切れなくなって、その場を離れた。

やっぱり、知人を見送るのは辛い。

ドラマでも、ついつい、もらい泣きしたり、ぼろぼろこぼれる涙を止めるのに困ったりしてしまうことがある。

順番ではあるけれど、見送るのは、嫌なもの。

最近では、「早死には嫌だ。でも長生きもしたくない。そこそこ生きればいい」と思う。

合掌。