丸の内オアゾ Marunouchi oazo 大手町 丸の内 飲食店
「あとがき」より抜粋―
♪音楽として聴いたり聴かなかったりする。
♪「音楽」のつもりでも、それが単なる音にしか聴こえないケースはある。
♪「音楽」として聴く知覚枠の素地
目次 →http://www.amazon.co.jp/dp/toc/412102009X/ref=dp_toc?_encoding=UTF8&n=465392
第1章 音楽と共鳴するとき―「内なる図書館」を作る(音楽の生理的次元
相性のメカニズム ほか)
第2章 音楽を語る言葉を探す―神学修辞から「わざ言語」へ(「鳴り響く沈黙」とドイツ・ロマン派の音楽観
神の代理人としての音楽批評 ほか)
第3章 音楽を読む―言語としての音楽(「音楽の正しい朗読法」―一八世紀の演奏美学
音楽/言語の分節規則 ほか)
第4章 音楽はポータブルか?―複文化の中で音楽を聴く(再生技術史としての音楽史
演奏家を信じない作曲家たち ほか)
第5章 アマチュアの権利―してみなければ分からない(音楽は社会が作る/音楽が社会を作る?―パウル・ベッカーのテーゼ
音楽は政治的にうさんくさい?―「感動させる音楽」の恐怖 ほか)
音楽の聴き方
聴く型と趣味を語る言葉
岡田暁生 著
中公新書
ISBN978-4-102009-3
「自分の身体は自分が一番知っている」とある時期良く耳にした。
最近では、聞かなくなった。
多分、一番知っているのは本人とは限らないということ。
医者が、わかるかというと、そうとも言えない。
検査しても解らなかったという言葉をよく耳にするから。
それだけ、人の身体というのは複雑な面があるということかもしれない。
ただ、正しい知識を得る努力はしたほうが良いように思う。
お医者さんに聞きたい130の疑問
「40代からの健康」これだけは絶対に知っておけ
米山公啓
知的生き方文庫 三笠書房
認知症という言葉をよく耳にするようになったのは、つい最近のような気がする。
物忘れや、度忘れなど、が、ぼけとか、高齢になったからというものから、認知症という言葉が
広く知られるようにはなったものの、きちんと把握している者はまだ少ないだろう。
父は晩年、「お金を盗られた」といつも言っていたのを思い出す。
家のものを犯人扱いして、睨まれたこともある。
夜中にいつの間にか家を出て、「戸が開かない」と鍵のしまっていない玄関をがたがたやっていることがあった。
そのうち、寝たきり状態になって、ひっそりと逝った。
思えば、晩年は認知症だったのかもしれない。
誰もが、認知症になるとは限らないし、若年でも認知症を発症して今うこともあるそう。
死の恐怖から、逃れるための知恵だとも聞いた。
しかし、認知症は、家族にとっても、辛いことには違いないよう。
短時間にちょっと発症。
その後、死亡するというのが良いかもしれない。
知っておきたい認知症の基本
川畑信也
集英社新書