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運とつきあう 幸せとお金を呼び込む13の方法 3

2012-07-22 05:53:03 | 株式投資・資産運用
 第八。「最悪」を想定する。

 これも投資においては重要。ブラック・スワン的な想定外の出来事というのは起こりうる。

 というか、想定していれば、それはいくら大変なことであっても想定外ではないですけど。

 逆に言えば、「最悪、それで何を失うのか。」ということを考えておくのもよいかと思います。これは、リスクとリターンのバランスということとも関係します。
 結論的に「だったら、やってみたらいい。」となることも結構多いかと。

 第九。「沈黙」を守る。これは「口は災いのもと。」ということですね。うーん、どうかな。ケース・バイ・ケースというか、その内容なり状況によるでしょう。いらんことまであれこれしゃべり過ぎるなということだったら、それはそう。特に人の悪口とかは。

 第十。教訓にならない教訓。実際はなんの意味もないようなことを教訓的にとらえてしまうような場合はあります。また、人は自分の個人的な経験にとらわれがちになる。しょうがないところもありますが、ちっょと視点を変えて、自分の存在を相対化して見るというのは意味があることだと思います。

 第十一。不公平を受け入れる。どういう不公平を受け入れるかです。「運」とやらがみんなに公平に訪れるわけではありません。本書の中では「「公平さ」は人間が考えだした概念です。人間以外は誰も気にかけていない。」と書かれています。そのとおりでしょう。だから、「運」がある人を羨んだり、「不運」を嘆いて怒ってみてもしょうがないという場合がある。

 しかし、人から合理的な理由なく不利益な扱いを受けたとしたら、それは人がつくった概念に反するわけだから、そこは場合によっては受け入れてはいけないこともある。

 第十ニ。いくつも同時にこなす。これは「ジグザクに進む」と似たところがあります。いろんなところに顔を出して、実際にやってみること。一方がだめでも、他方でうまくいくということは当然ありうるわけで。そうした方が、いろんな意味で幅が広くなります。自分自身、このようにありたいと思っています。特に今は。

 第十三。「運命の相手」に出会う。「運命」という言葉のイメージがまた好きではなかったりしますが。

 こう書いてます。「もしも自分にとって「運命の相手」になるかもしれない人物-出会った瞬間にポジティブなインスピレーションを感じる人-に遭遇したら、そのまま立ち去らせてはいけない。何とかして関係をキープして、その関係がどのように発展するかを見きわめるのだ。そんなチャンスは二度と来ないかもしれないのだから。」

 これはまったくの勘違いかもしれません。でも、「運命の人」かもしれない。見きわめるだけの価値は確かにあるかもしれません、ただじっとしているよりは。

 ということで、この十三です。

 つまり、言われていることは、いずれも、いいことがおこる、「運」か向くような可能性を広げる、高めるということです。

 投資ではなくて、人生ということで言うなら、二番目の「人の流れにとびこむ」は非常に重要。投資においては「スプーン一杯」のリスクを取ることは非常に重要だろうと感じました。

 ちょっと後半、だれたという感じはしますが、これはなかなか面白かったです。




 
 

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運とつきあう 幸せとお金を呼び込む13の方法 2

2012-07-22 05:27:21 | 株式投資・資産運用
 第三の方法は「スプーン一杯」のリスクをとる、ということ。

 「スプーン一杯」という表現がなかなかよいです。つまりは、リスクと報酬のバランスをとれということ。

 本書の中では宝くじをこのリスクを取る例としてあげているけれど、これはどうなのかなぁ。かなり疑問ですが。なぜかというと、買うという判断しかないわけだから、これは。しかも、期待値は低くそのほとんどはスカですし。
かといって、「安全」な預貯金のみでいいというわけではありません。無論、過大なリスクを取ることが破滅につながりやすいというのは指摘のとおり。

 第四の方法は引き際をわきまえる。ほとんどの場合、「運」とやらはそんなに続かない。勝負勝負で勝ち続けられる可能性は非常に低い。

 株式投資の売買方法でいえば、トレーリング・ストップなんかはこの「引き際」の一案ということになりましょう。

 第五は、「運を選ぶ」。つまり、だめなものは捨てるという選択をする。株式投資で言えば損きり。

 これは感覚的に難しい、苦しいことで、その指摘もあります。これは人との関係でも同じこと。でも、悪いものをいつまでもそこにこだわってしまうのではなくて、捨てること、切ることというのは確かに非常に大事かと。
そこにこだわってしまうと、意識もそのことに集中してしまいますから。

 第六は「ジグザグに進む」。目標をしつかり定めて一直線に進むことが必ずしもいい結果を生むとは限らず、とにかく色々してみること、いろんな経験を重ねることが結果的にはよい場合も多い。確かにそういう面はあるかも。一直線に進んでも、その目標に到達できずに挫折することもあるわけだから。だ、結果としてその挫折体験が次へのステップとなることもあります。

 第七。「迷信」とつきあう。願掛けとか占いとか、そういう合理的な理由がないことです。私はこうした類は好きではない。

 しかし、それが合理的な理由がないことを承知の上で、最終的にどのような決断をしたらよいか合理的な決定ができない時に決定をするための手助けとして利用するのであれば必ずしも悪くないというようなことを言っています。

 なるほど。しかし、私はやはり好きではないな、「迷信」とやらは。

 
 

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