京都国立博物館の展覧会「細川家の至宝」。
こちら、ビラ。
こちら、館内においてあったシートのようなもの。
これは、元首相の細川さんの細川家に伝わるものの展覧会。
ヘッドホンで聞く解説の録音では、元首相が喋っていたりします。
細川家といっても、色々系統?があるみたいですが・・・。
細川家は京都の建仁寺と関係が深く、また、長岡京市の勝竜寺が居城だったそうです。
展示物は戦国の頃から近世のものまで色々ありましたが、
面白かったのは、熊本の領地内を詳細に描いた水墨画、日本刀、戦の時に掲げる錦の御旗など。
近世では、ビラにもある
菱田春草の「黒猫」。しっぽの描写なんかがすごかったです。
菱田春草はうちの親父さんと同郷。ちっょと親父さんの仕事の関係でつながりがあったりします。
ついでに訪ねたのが豊国神社、方広寺。方広寺は、今ではとても小さいお寺ですけど、往事は、今の国立博物館などの地域をすべて含む広大なお寺だったようで、たてられた大仏は東大寺の大仏以上のものだったとか。
こちら、豊国(とよくに)神社の御朱印。神社ということで、お寺とちょっと形式が違う感じ。なんて書いてあるのかよくわからん。
神社入り口の銀杏がきれいです。
これは国宝の唐門。確かに立派。いかにも安土桃山?。伏見城のものを移築したとか。
さらにその奥の社殿。
この神社で見ておきたいのが、宝物館の屏風です。
館内は撮影不可。
こちらで紹介されています。
『豊国祭礼図屏風』
秀吉の7回忌にあたる慶長9年(1604)の8月、豊国神社では8日間にわたって盛大な臨時大祭礼を行ったそうですが、その様子を描いたもの。
大きさもそうですが、踊りまくる人々の姿など、その規模や当時の京都の様子など、すごいものです。
宝物館の施設が薄暗くてあまりよくない。デジタルコピーのものも一緒に展示されていましたが、こっちは明るいところでもっとよく見えるようにすればいいのにね。
実はこの祭礼、徳川家も援助といか認めているのです。幕府開設が1603年。家康が、この次に載せる写真の方広寺鐘銘事件をきっかけとして、大阪冬の陣、夏の陣で豊臣を滅ぼすのは1615年。
つまり、この祭礼が行われた時点では豊臣氏はまだ存続しており、徳川家も色々思惑もあってこの祭礼をさせたようです。
さて、その鐘がこれ。アートフィルターのジオラマ。なんかこのモードにたまたまなってしまっていたのですが、妙に鐘が強調されている感じに。
で、その鐘に彫ってある、いちゃもんをつけられた語句がこれ。「家康」の二字を離して、豊臣を君として云々とか文句をつけたもの。
これは鐘楼の下においてあるもので、昔の大仏の一部?。
豊国神社内の稲荷。
これは、秀吉が朝鮮出兵時に持ち帰った、切り取った「耳」を埋めたとされる耳塚。近くです。