「ハマっ子」

 親愛なる神奈川新聞の今日の「照明灯」(朝日の「天声人語」、毎日の「余録」、日経の「春秋」みたいなものだ)に、「ハマっ子」について書かれていた。「照明灯」によれば、明治24-5年頃の新聞に「横浜っ子」が見られ、戦前(太平洋戦争前という意味だ)までは「浜っ子」、戦後に「はまっこ」そして最近になって「ハマっ子」と呼ばれ、書かれるようになったらしい。

 ただし、「三代前からお江戸は下町に住んで帝釈天で産湯をつかい・・・」ってな江戸っ子ほどではないようだが、「ハマっ子」と名乗るには、関内、伊勢佐木、元町辺りに暮らす二代目以降という条件があるらしい。ということは、10年前から横浜山の手の奥の奥に住み始めた郷秋<Gauche>は無論、我が家の息子どもも、「ハマっ子」とは言えないという事か。

 「ハマっ子」と名乗れないなら「横濱人」(わざと旧字を使ってみる)というのはどうだ?語感、文字面というのは不思議なもので、「横濱人」と書くと、「ハマっ子」よりも大人で文化の香りがしてくると言っては言い過ぎだろうか。郷秋<Gauche>は「横濱人」である。エッヘン。
 
今日の一枚は、横浜山の手の奥の奥、横浜にもある里山の花風景。
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