唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
横浜の歴史的建造物探訪(その1)
郷秋<Gauche>が、歴史的建造物に大いに興味を持っていることは、blog化以前からの「独り言」のファンなら勿論良くご存知のこと。blog化後も、近くは昨年の8月下旬に「江戸東京たてもの園」で撮影した写真を一週間程連続で掲載しているし、9月にも宇都宮の教会も紹介している。って、別に勿体つける程の事はなく、要するに、郷秋<Gauche>は歴史的建造物のファンなのである。
で、今日からしばらくは、郷秋<Gauche>の地元(と言っても郷秋<Gauche>の家からは小一時間かかる)、横浜市の中心部に残る、歴史的建造物を紹介していきたい。初回の今日、ご紹介するのは、神奈川県立歴史博物館(旧横浜商金銀行、写真左手)と、その並びにある日本興亜馬車道ビル(旧川崎銀行横浜支店、写真右手)である。
国の重要文化財に指定されている現神奈川県立歴史博物館は、1906年(明治37)に妻木頼黄(つまきよりなか)により設計され、横浜商金銀行本店として建てられたものである。関東大震災時にシンボルであったドームが焼け落ちたが、1964年(昭和39)に神奈川県が敷地と建物を買い取った後に修復され往時の姿を取り戻し、1967(昭和42)には博物館に生まれ変わっている。
写真向って右側の建物は1922年(大正11)に矢部又吉の設計によって建てられた日本興亜馬車道ビル(旧川崎銀行横浜支店)。1989年(平成元)に保存・改修工事が完成したが、この改修工事は、建物正面に旧建物のほぼ全部を、そして神奈川県立歴史博物館に面する側の一階部分に往時の建物の様式を復元しながら、上層部には近代的なビルを継ぎ足すという斬新な手法が取り入れられた。
これにより、当時の様式を復元しながらも新たなビルに生まれ変わった旧川崎銀行横浜支店ビルであるが、この保存と活用の先駆的な手法は各方面から注目され、その後、多くの歴史的建造物の保存と活用の手本となったのだそうである。
神奈川県立歴史博物館(旧横浜商金銀行、写真左手、横浜市中区南仲通5-60)と、日本興亜馬車道ビル(旧川崎銀行横浜支店、写真右手、横浜市中区弁天通5-70)。
で、今日からしばらくは、郷秋<Gauche>の地元(と言っても郷秋<Gauche>の家からは小一時間かかる)、横浜市の中心部に残る、歴史的建造物を紹介していきたい。初回の今日、ご紹介するのは、神奈川県立歴史博物館(旧横浜商金銀行、写真左手)と、その並びにある日本興亜馬車道ビル(旧川崎銀行横浜支店、写真右手)である。
国の重要文化財に指定されている現神奈川県立歴史博物館は、1906年(明治37)に妻木頼黄(つまきよりなか)により設計され、横浜商金銀行本店として建てられたものである。関東大震災時にシンボルであったドームが焼け落ちたが、1964年(昭和39)に神奈川県が敷地と建物を買い取った後に修復され往時の姿を取り戻し、1967(昭和42)には博物館に生まれ変わっている。
写真向って右側の建物は1922年(大正11)に矢部又吉の設計によって建てられた日本興亜馬車道ビル(旧川崎銀行横浜支店)。1989年(平成元)に保存・改修工事が完成したが、この改修工事は、建物正面に旧建物のほぼ全部を、そして神奈川県立歴史博物館に面する側の一階部分に往時の建物の様式を復元しながら、上層部には近代的なビルを継ぎ足すという斬新な手法が取り入れられた。
これにより、当時の様式を復元しながらも新たなビルに生まれ変わった旧川崎銀行横浜支店ビルであるが、この保存と活用の先駆的な手法は各方面から注目され、その後、多くの歴史的建造物の保存と活用の手本となったのだそうである。
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神奈川県立歴史博物館(旧横浜商金銀行、写真左手、横浜市中区南仲通5-60)と、日本興亜馬車道ビル(旧川崎銀行横浜支店、写真右手、横浜市中区弁天通5-70)。
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