唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
神様じゃなくて王様でしょう
今朝、オフィスに向かう道すがら聞いていたJ-Waveからエリック・クラプトンとB.B.キングが競演しアルバムのタイトルにもなった「Riding with the King」 (2000年)が聴こえてきた。ナビゲーターの別所哲也氏が「ギターの神様」エリック・クラプトン、「ブルースの神様」B.B.キングと、「神様」を連呼するのを聞きながら郷秋<Gauche>は思った。「神様」ではなく、「王様」だろうと。
同じことが日本では度々起こる。古い例で恐縮だが、判り易いので「サッカーの神様」ペレことエジソン・アランチス・ドゥ・ナシメントの例をあげよう。英語ではThe King of football、ポルトガル語ではO Rei do Futebol。eiは「帝王」だから、直訳すればどちらも「サッカーの王様」なのだが、何故か日本では「サッカーの神様」となる。
八百万(やおよろず)の神が住まう神州(我が日本の事だ)においては、神様が一柱や二柱増えたからと云ってどうと云う事はないが、一神教の文化が浸透している国で、一神教を信ずる人に向かって「○○の神様」などと云ったものなら、「神は唯一。我が神以外の神など存在しない」と、ひと騒動起こるのではないかと郷秋<Gauche>は心配になる。もっとも、日本においても神様になれるのは死んでからじゃなかったのかなぁ。生きているうちに「神様」と呼ぶのには抵抗があるぞ。
告白:知ったかこいて「Riding with the Kingが聴こえてきた」などと、さもいつも聴いているかのうように書いたが、実は郷秋<Gauche>、この手のジャンルの音楽はまったく聴かないので、今日初めて耳にした曲であることを白状する。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、一昨日ご覧いただいた写真の撮影場所から500m程進んだ右手の景色。かなり急峻な山の裾には杉が植えられ、その手前が畑、手前側の低いところは水田と、耕作可能な場所はその有り様に応じて全て人の手が入っている。自然と人とが創りあげる調和の一例。