唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
妙な事になっている福島
3泊4日と短い日程ではあったが、郡山に帰省してきた。そこで感じたのは「福島が、どうも妙なことになっている」と云うこと。どうも、どこかが、おかしいいのだ。
例えばスーパーマーケットの店頭には、放射能の影響を避けてと云う事だろう、北海道あるいは九州をはじめとした西日本産の野菜が並んでいるかと思えば、「福島の農家支援」のコーナーがあり、地元で採れた野菜も並んでいる。勿論、県内産の野菜は毎日このようにして放射線量を測定し、安全を確認したうえで店頭に並べていますと云う説明パネル付。
果てさて、どちらのコーナーの野菜を手にしたら良いのか悩んだ末、トマトは地元産、ジャガイモは北海道産を買ってきた。実家近くのスーパーマーケットだが、地元を離れて早や30数年が経ち勿論知り合いと出っくわす心配などない郷秋<Gauche>だから好きに野菜を選ぶことができたけれど、毎日そこで買い物する方にとってはどちらを買うのか、買い物に行くたびに「踏絵」を踏まされている気分ではないだろうか。
たまたま見た福島民報新聞には、県南の白河市(合併後人口約64,000人。中通り地方の中では放射線量が一番低い)の状況を例示して、県外への自主避難による人口減少に関する記事が掲載されていた。詳しいく数字は失念したが、おおよそこう云う事である。
白河市内に建設された仮設住宅には、福島第一原発付近の高濃度放射線を避け、四百数十名の方が避難してきている(この分人口増)が、一方では千百名以上の方が白河は危険だとして県外に自主避難し、都合五百人以上(市の人口の1%弱)の人口減少となっていると云うのだ。さらに、白河市在住であった家族の中でも、沖縄まで避難した妻と、地元に残った夫と息子の間の葛藤が紹介されていた。
妙な、おかしな例をもう一つ。平常時よりも放射線量の高い地域に居住する人たちが、一時的にその地を離れて過ごす保養キャンプが心身の健康に良いとされ、北海道、東北地方でも山形以北、あるいは南関東、甲信越と云った地域でボランティアによる保養キャンプが開催されていることが新聞で報じられていたが、一方では「福島は危険だ」だと云う風評を払拭するためにと、白河市内の農家で行われた田植体験に参加した首都圏在住の親子が泥だらけになって田植えを楽しんだとの記事。
いったい何が正しくて何が間違っているのか、福島に住まう方あるいは福島に住まう方を支援しようと云う方は、何を基準に行動しているのか。放射能の影響が恐ろしいと云う方、いや、それはそれほど大きな問題ではなく(勿論、福島第一原発から一定以上の距離をおいた地域の話)、むしろ風評による被害、影響の方が大きいと主張する方が相半ばしているのが今の福島ではないかと郷秋<Gauche>の目には映った。
「あなたと私は考え方が違うのね」と、その違いを互いに認め合い、これまで通りの付き合いが出来れば良いけれど、事はそう簡単ではないだろう。「私は気にならないけれど、あの家は無頓着だと云われたくないがために、布団や洗濯物を外に干さないでいる(干せないでいる)」方がいると云う話しは、福島が紅白に分かれての精神的内戦状態に入る直前のサインの一つではないかと思いつつも、福島人らしい忍耐と粘りで克服して欲しいし、そのために県外に住む福島人には何が出来るのかと、毎日思い巡らす郷秋<Gauche>なのである。
例によって記事本文とは何の関係もない、いや、大いに関係がある今日の一枚は、布引高原風力発電所に向かう田中の一本道の右手に見えた小さなお社。郷秋<Gauche>のふるさと、たおやかで美しい福島。