れ足す言葉?

 「食べれる」「見れる」「来れる」など、「ら抜き言葉」と云われる言葉を聞くようになったのは、もう随分と前の事だと思うけれど、最近では「れ足す言葉」というものがあるらしい。「読める」「行ける」「話せる」などがその「れ足す言葉」なのだと云う。言葉の変化として、短縮されていくのはわかるが、わざわざ一音入れて長くなる変化は郷秋<Gauche>的にはちょっと理解できない。

 今時分の高校生や大学生の標準語は「ら抜き言葉」と云っても良い程で、「食べられる」などの「ら入り言葉」は既に老人語の感がある。言葉は時代と共に変わるものだから、「れ足す言葉」も当たり前の時代がやって来るのかも知れないけれど、やっぱり抵抗感はある。いつの時代もそうだったのだろうな。「今の若者の言葉は乱れている」と、大昔から云われ続けてきたのに違いない。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、なるせの森の谷戸の畑で群れ咲いているカモミール。この畑からいただいて来た我が家のカモミールはとっくに終わってしまったけれど、ご本家さまはまだまだしっかり咲いている!

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