玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

神林勇さんの『キナバルの友』

2008年08月11日 | 日記
 毎年八月には、戦争体験記を読むことにしている。義務としているわけではないのだが、不思議とそうなる。今年も元日石加工工場長の森敏明さんから、先月ソフィアセンターで航空写真展を開いた神林純夫さんの養父である神林勇さんが、ボルネオでの体験記を残していることを知らされ、お借りして読んだ。
 『キナバルの友││一石油技術徴員の追憶││』という題で、この本は先の戦争に兵士として参加した立場からではなく、一技術者として徴用された、いわゆる“軍属”の立場から書かれた本である。今までそうした視点で書かれた体験記を読んだことがなかった。考えてみれば、戦争は兵卒だけでなく技術者をも大量に必要としたのだった。
 神林さんは市内藤橋生まれ。日石柏崎製油所に就職し、昭和十六年にボルネオに徴用される。イギリス軍が撤退時に破壊したルトン製油所を修復し、日本軍のために使えるようにするのが仕事であった。日本の技術者の高い技術力に驚かされる。神林さんはイギリス軍が残した車を次々と修理し、製油所を復旧させ、航空機用ガソリンの製造に成功する。
 ある意味では兵士よりも有能で有用であった神林さんであったが、アメリカ軍の空襲で負傷すると、日本軍には完全に見捨てられ、たった一人で松葉杖でのジャングル逃避行を強いられる。逃避行は三カ月に及ぶが、神林さんを助けてくれたのは現地の部族であり、その家族であり、日本から来たパン屋の娘だった。
 ジャングルでの食糧調達の様子が、冷静かつ合理的で圧巻である。一人で生き抜いた神林さんの日本軍に対する怒りにも説得力がある。神林さんは昭和五十六年と五十九年に現地を訪れている。死んだ同僚への慰霊と、自分を助けてくれた現地人に感謝の気持ちを伝えるためだった。
 “キナバル”はボルネオの最高峰、キナバル山。

越後タイムス8月8日「週末点描」より)