二月二十六日・二十七日に、越後タイムス百周年記念事業として予定している、「鬼灯」柏崎公演への協力を求めるため、西本町三の正法寺に松田秀明住職を訪ねた。早速「鬼灯」のチラシをお見せして、ご協力をお願いした。
住職はいきなり「ちょうど島秋人の資料を整理していたところで、自筆原稿もありますよ」と、びっくりするようなことを言われる。住職が別室から持ってこられた封筒には、「柏崎西本町三、島町住人、中村覚二こと島秋人、自筆原稿、葉書他」と記されていた。
封筒に入っていたのは、柏崎歌会の機関誌「朱」の島作品掲載号三年分、投稿用の自筆原稿、島手書きの自選歌集二冊。他に、事件後の四年間の経緯を伝える「小千谷新聞」の記事、最高裁への上告趣意書の写し、住職の父・松田政秀さん宛の絵葉書四通があった。
そんなものを見せられて、すっかり昂奮してしまったが、住職はそれらの資料を昨年の十二月二十二日に整理されたのだという。
「まるでお出でになるのをお待ちしていたようですね」と住職は言われる。今回の公演実現には、多くの偶然が重なったが、この日の資料発掘も偶然のひとつだった。
“島秋人”の筆名は、“島町の住人で囚人であること”からつけられたもので、「絢子さん等から贈られた」とされているが、具体的には政秀さんの命名によることも知った。機関誌「朱」には、政秀さんによる島作品評も掲載されていて興味が尽きない。
これらの貴重な資料は「鬼灯」公演の当日、会場の「游文舎」エントランスホールに展示する予定だ。その前に、タイムス紙上で、その一部でも紹介できればいいと思っている。
住職はいきなり「ちょうど島秋人の資料を整理していたところで、自筆原稿もありますよ」と、びっくりするようなことを言われる。住職が別室から持ってこられた封筒には、「柏崎西本町三、島町住人、中村覚二こと島秋人、自筆原稿、葉書他」と記されていた。
封筒に入っていたのは、柏崎歌会の機関誌「朱」の島作品掲載号三年分、投稿用の自筆原稿、島手書きの自選歌集二冊。他に、事件後の四年間の経緯を伝える「小千谷新聞」の記事、最高裁への上告趣意書の写し、住職の父・松田政秀さん宛の絵葉書四通があった。
そんなものを見せられて、すっかり昂奮してしまったが、住職はそれらの資料を昨年の十二月二十二日に整理されたのだという。
「まるでお出でになるのをお待ちしていたようですね」と住職は言われる。今回の公演実現には、多くの偶然が重なったが、この日の資料発掘も偶然のひとつだった。
“島秋人”の筆名は、“島町の住人で囚人であること”からつけられたもので、「絢子さん等から贈られた」とされているが、具体的には政秀さんの命名によることも知った。機関誌「朱」には、政秀さんによる島作品評も掲載されていて興味が尽きない。
これらの貴重な資料は「鬼灯」公演の当日、会場の「游文舎」エントランスホールに展示する予定だ。その前に、タイムス紙上で、その一部でも紹介できればいいと思っている。
(越後タイムス1月14日「週末点描」より)