玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

アレホ・カルペンティエール『方法異説』(2)

2016年12月07日 | ラテン・アメリカ文学

『この世の王国』はハイチ革命の歴史を描いたもので、マジック・リアリズムの代表作として名高い作品である。この作品の序文でカルペンティエールは、自分がフランスで学んだシュルレアリスムの世界が、ラテン・アメリカ圏の驚異的現実に比べていかに貧しいものであったか、ということを書いている。
 そうした驚異的現実はこの作品で、奴隷の反乱の先駆けとなるマッカンダルがブードゥー教の魔術によって、「蝶にでもイグアナにでも、馬にでも鳩にでも変身」する姿に代表される(ちなみに括弧内は『方法異説』の一節)。
 しかし、カルペンティエールがこの作品以降、このような魔術的世界に戻っていくことは二度とないのである。それは彼がキューバ人であってもインディオではなく、どこまでも純粋なヨーロッパ人であり、そのような魔術的世界を代表出来る存在ではないということに関わっている。
 たとえばこの『方法異説』はアウグスト・ロア・バストスの『至高の我』、ガブリエル・ガルシア=マルケスの『族長の秋』と並んで、ラテン・アメリカ文学の三大独裁者小説の一つに数えられるが、カルペンティエールの独裁者はあくまでもかつての征服者=スペイン人であり、インディオ的な要素はまったくない。
『方法異説』のタイトルはもちろんルネ・デカルトの『方法序説』からきているが、主人公の独裁者=第1執政官はゲルマン的価値観に対してラテン的価値観を対置する。それは第1次世界大戦におけるドイツに対し、ラテン的世界の優位を説いて防衛戦を戦う姿勢でもある。
 そのラテン的世界を代表するのがデカルトの『方法序説』であり、デカルトに代表される西欧合理主義が否定されているわけでは決してない。『この世の王国』でカルペンティエールは、ハイチのブードゥーの世界を賞賛し、ヨーロッパ的価値観に対して否定的な眼差しを向けたかも知れないが、それ以降カルペンティエールがそうした世界観に戻ることはない。
 その最も顕著な作品が『光の世紀』であったように思う。カルペンティエールはラテン・アメリカの魔術的世界を捨て、フランス革命の世紀=光の世紀の希望と絶望の世界に正面から入っていく。その結果がまるで古典的な名作を読むような重厚な読後感を残す『光の世紀』という作品に結実しているのである。
 カルペンティエールは『春の祭典』でもキューバ革命を描いて、歴史的現実と個人の問題を小説の中軸に据えているが、よく考えてみればカルペンティエールという作家はずっとそのようなテーマを追究してきたのかも知れない。
 ところで『この世の王国』もまた、一部独裁者小説としての要素を持っている。第4部で世界初の黒人独立を勝ち取り、ラテン・アメリカ世界で黒人初の王制君主となるアンリ・クリストフの治世を描いた部分である。
 アンリ・クリストフは旧フランスの植民地であったハイチでフランス名を名乗り、フランスの再侵攻を恐れてラ・フェリエール砦を築き、クーデタの最中に銀の銃弾を使って自決する。
『方法異説』での独裁者は黒人でもなければ、インディオでもない。フランス的教養を持った白人であって、アンリ・クリストフとは違い、第1執政官はパリで色と欲と文化的精華に溢れた生活にふけりながら、国では残酷な弾圧政策を繰り広げる男であり、そのために本国を逃れてパリで客死することになる。
 だからカルペンティエールの『方法異説』はラテン・アメリカの現実に密着した、マルケスの『族長の秋』やミゲル・アンヘル・アストゥリアスの『大統領閣下』とは違った印象を与える。この第一執政官はパリでの生活の方を本国での生活よりも重視しているかのようなのだ。

アレホ・カルペンティエール『この世の王国』(1992、水声社)木村榮一・平田渡訳
アレホ・カルペンティエール『光の世紀』(1990,水声社)

 

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