玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ヘンリー・ジェイムズ『鳩の翼』(7)

2015年03月02日 | ゴシック論
『鳩の翼』では副主人公マートン・デンシャーの優柔不断は最後の最後で覆される。デンシャーは死んだミリーから贈られた莫大な財産を放擲し、ケイトとの結婚の約束も破棄することで、男としての“決断”を全うするのである。
『明暗』の津田はどうなのだろう。津田もきっと最後に大きな決断を迫られることは間違いない。しかし、マートンのように自らの純粋を維持するために、自ら決断するということは考えにくい。
 マートンが能力もあり、人柄も優れた美男子としてジェイムズによって描かれているのとは対照的に、津田は漱石によってほとんど俗物として描かれているからである。津田のような主人公は漱石の小説の中では異例な人物であり、このような俗物がどのような行動を取るかについては図りがたいものがある。しかも『明暗』がジェイムズの『鳩の翼』のように決然たる意志の断行によって終わることも考えにくい。
 漱石の小説の結末は、いつでもはっきりしていない。『それから』もそうだし、とくに『道草』などは「世の中に片付くなんてものは殆どありやしない。一遍起った事は何時迄も続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなる丈の事さ」という健三のせりふで終わっている。ほとんど捨て鉢というか、開き直りのような言葉である。主人公が優柔不断であるのと同じように、小説の結末も優柔不断である。いつでも消化不良なのだ。
『明暗』もまた『鳩の翼』のような決定的な決断によっては終結しなかったであろう。しかし『明暗』の結末を想像するときに、ヘンリー・ジェイムズの『鳩の翼』は必ず参考にすべき小説であると私は思う。
(この項おわり)


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