クビーンの方は顔が次々に変貌していくのに対し、ホフマンの方では次から次へと奇態な悪鬼どもが姿を現すという違いはある。しかし私が指摘したいのは、想像力の働かせ方の共通性である。クビーンの引用からは「カメレオン」と「七面鳥」を拾うことができ、ホフマンの引用からは「蟋蟀」「鳥」「蜥蜴」「毛虫」「蟻」「馬」「梟」を拾い上げることができる。
クビーンの先の引用に続く以下の場面でも、多くの動物の面貌がパテラの顔に現れてくることが読み取れるだろう。
「次に現われたのは動物たちの顔だった――一頭のライオンの顔貌、それがやがてジャッカルのようにとがって狡猾な顔つきになり――それが鼻孔をふくらませた野生の雄馬に変り――鳥類になったかと思うと――次には蛇のようなものに変った。それは見るも恐ろしい眺めだったが、私は叫び声をあげようにも、あげることができなかった。いまわしい顔、血みどろになった顔、わんぱくで臆病な顔などを、私はつぎつぎに見なければならなかった。」
怪異なもの、面妖なもの、グロテスクなものを、動物の顔や姿形になぞらえるという共通性を、明らかに読み取ることができるのである。それだけではなく、もう一つの共通性として恐ろしさの中に、ある種の滑稽さが含まれていることも指摘しておきたい。クビーンの場合も言ってみれば百面相のようなおかしさがあるし、特にホフマンの引用部分には人間の体と動物の体の接合が描かれており、独特な滑稽さがある。
ここで思い出すのが、15~16世紀のドイツの画家マティアス・グリューネヴァルトのイーゼンハイム祭壇画に描かれた《聖アントニウスの誘惑》である。この作品の中では豚や魚、鳥などと人間の体との接合が描かれているし、そこには恐ろしいだけではなくて、幾分かの滑稽さが含まれていることを否定することは出来ない。
おそらく、二人の奇抜な想像力の源泉にはグリューネヴァルトのこの作品があると思われる。特にクビーンの本業は画家であり、『裏面』の中でパルレの建物の装飾品としての絵画の作者として、ブリューゲルやレンブラントと共に、グリューネヴァルトの名前が挙げられているのである。
グリューネヴァルト《聖アントニウスの誘惑》
また、ホフマンのクビーンへの直接的な影響も明らかである。『裏面』刊行の後のことではあるが、クビーンはポー、ネルヴァル、ドストエフスキー、ホフマンなど、自分の好きな作家の小説に挿画を描くことに専念したことが、解説に記されている。ホフマンはクビーンの愛読作家だったのである。
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