玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ジュリアン・グリーン『モイラ』(2)

2015年02月24日 | ゴシック論
 ジョゼフがいかに教条的な禁欲主義を振りかざそうが、彼自身性の誘惑に勝つことは出来ない。自分が住む下宿の部屋にこの間まで住んでいたモイラという娘が近日中に帰ってくるので、部屋を明け渡してくれといわれ、ジョゼフが行う行為はどういうものか? ベッドのシーツに残された若い娘の匂いを嗅ぎまくって妄想にふけることでしかない。
 第2部になってモイラという魅惑的な娘が登場する。開放的なアメリカ娘とその肉体はジョゼフにとって悪魔の誘い以外のものではない。最も禁じられているものが〈性〉であるとき、女性の肉体は悪魔の誘いであり、闘うべき対象そのものである。
 このようにして禁欲的な宗教思想は、女性の肉体の中に悪魔を造形するのである。悪魔の発生する場所は女性の肉体であり、禁じられた〈性〉そのものである。悪魔を生んだのは神ではない。神による〈禁止〉こそが、人間の中に悪魔を生むのである。
 たとえば、禁欲の空間としての修道院こそが悪魔の温床となる。それこそがゴシック小説が執拗に描いた悪魔の住む本来の場所なのだ。修道士が悪魔と契約して禁じられた欲望を果たしていくというようなゴシック的ストーリーを、我々はマシュー・グレゴリー・ルイスの『マンク』やチャールズ・ロバート・マチューリンの『放浪者メルモス』、H・T・A・ホフマンの『悪魔の霊酒』など多くの小説にみることが出来る。
 そのような意味で、ジョゼフが住む下宿の部屋こそがゴシック的空間となる。新しい部屋にモイラが尋ねてきたとき(それは学友たちのいたずらに過ぎなかったのだが)ジョゼフはモイラの肉体の魅力に必死で抵抗するが、結局抵抗むなしくモイラを犯してしまう。そして翌朝目覚めたとき、自らの禁忌への侵犯を罰するかのようにモイラを絞め殺す。
 ジョゼフは自らのうちに潜む悪魔を殺害したのである。

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