ハーマン・メルヴィルは捕鯨船の乗組員としての経験をもとに、あの『白鯨』を書いたわけだが、『乙女たちの地獄』に収められている「エンカンタダス」と「ベニート・セレーノ」の二編もまた、船乗りとしての経験に基づいて書かれた作品である。
「エンカンタダス」とは、南米エクアドル西方沖のガラパゴス諸島のことである。「エンカンタダス」は「魔の島々」の副題をもっていて、メルヴィルは十以上もある島々のほとんどについて、それぞれの島にまつわる恐ろしい物語を紡いでいく。
第一話から第四話までは地誌である。メルヴィルはエンカンタダスがいかに厳しい自然環境のもとにあり、人間を寄せ付けない魔の島々であるかということを執拗に説いていく。「第一話-群島風景」の冒頭で、メルヴィルは次のように書く。
「地上のいかなる土地といえども、荒涼の点においてこれらの島々に匹敵するものがあるかどうか疑わしい。遠い昔に見捨てられた墓地、徐々に崩れ落ちて廃墟となり果てつつある古い都市、これらも十分に陰鬱ではある。だがただ一度でも人間とのつながりをもったことのある地のすべてのものと同じく、それらもまた、たとえどのように哀れを誘うものであれ、なおわれわれの胸中に何がしかの共感を呼び起こすものである」
メルヴィルはゴシック小説が愛した墓地や廃墟について、それらはまだ人間の記憶を宿しているが故に穏健であり、エンカンタダスの島々の陰鬱に及ばないと言っているのである。
エンカンタダスには四季もなく、雨もまったく降らず、棲んでいるのは亀、蜘蛛、蛇、蜥蜴(イグアナ)しかいない。そしてこの荒涼たる光景についてメルヴィルは「ピクチャレスク絵画の愛好者にとってまことに奇妙な感慨をもたらすことになるだろう」と書くのである。
"ピクチャレスク"とは"ゴシック"と緊密に結びついた概念で、不気味で荒涼とした風景(とくに廃墟があればなおよい)への嗜好を言う。メルヴィルはこの地誌の部分で、読者のまさにピクチャレスク趣味に訴えているのである。
つまりメルヴィルは、エンカンタダスの中にヨーロッパ的ピクチャレスクよりももっと厳しいピクチャレスクを想定している。もっと簡単に言えば、ヨーロッパ的ゴシックに替わる新しいゴシック空間を創出しようとしているのだ。
歴史も浅く、ゴシック空間をもたないアメリカ人として、メルヴィルは「鐘塔」においてはヨーロッパ的な設定を借りたが、船乗りとしての経験から彼は新しいゴシック空間を海洋に切り拓いたのだと言える。
だからこそ「ベニート・セレーノ」のような中編小説だけでなく、『白鯨』という大作においても、アメリカンゴシックの完成者としての地位を築くことができたのである。
ちなみにピクチャレスク絵画の代表とも言える、ジョン・マーチンの作品を紹介しておく。〈イグアノドンの王国〉という作品であるが、ほとんど「エンカンタダス」のための作品であるかのように見える。
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