玄文社主人の書斎

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アルフレート・クビーン『裏面』(7)

2022年03月10日 | 読書ノート

「夢の国の没落」と題された第3部は、ペルレに現れたアメリカ人ハーキュリーズ・ベルがパテラと激しく対立する中で、夢の国が何か不可思議な力によって崩壊していくという内容になっている。私がこの小説を読んで最も驚いたのはこの第3部第3章「地獄」と題された部分に対してであった。
 この章はパテラ崩壊の予兆のいくつかがエピソードとして連続していくところで、その最初のエピソードが「眠り病」である。「眠り病」はハーキュリーズ・ベルがパテラを倒すための行動に打って出ようとする時に、彼自身と彼の周辺の現象として発生する。つまりそれはベルの政治活動を阻害する要因をなすのだが、それだけではなく「眠り病」はパルレの町全体、夢の国全体へと拡がっていく。

「ベルレは、不可抗力の眠り病に冒された。眠り病はアルヒーフで突然起こり、そこから町と国へ広がっていった。誰一人としてその伝染病にはさからえなかった。まだ活力があると自慢にしていた人も、知らぬ間にどこかで病原菌にとりつかれていた。
 眠り病の伝染的な性質は、すぐさま認識されたが、しかしどの医者にも治療手段が見つからなかった。ベルの声明は目的を達しなかった。まだそれを読んでいる最中に、人びとはあくびをしはじめたからである。家にいられる人はすべて、できるかぎり家にいて、街で疫病に襲われないようにした。自分の身を守るにふさわしい場所がみつかると、人びとは従容としてその新しい運命にしたがった。悲しんでなどいなかった。たいていの場合、強い疲労感が最初の徴候だったが、そのあと患者は一種痙攣性のあくびに襲われた。眼に砂がはいったように思い、瞼が重くなり、考えごとがすべてもうろうとしてきて、そのときちょうど立っていた場所でそのままぐったり坐りこんでしまった。 病人は、強い臭気や塩化アンモニウムなどによって時おり眠りから救い出されることもあったが、わけのわからない二三の言 
葉を舌足らずに口ごもるだけで、ふたたび気を失っていった。」

 この一節を読んで、G・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』における伝染性不眠症のエピソードを思い出さない者はいないだろう。『百年の孤独』はエピソードに続くエピソードが展開する、エピソードの無限連鎖から成り立っているが、不眠症のエピソードは最初の集団的異変であって、このエピソードによって『百年の孤独』はスタートするのだと言ってもいいくらい重要な場面である。引用してみよう。

「実際に、みんなが不眠症にかかっていた。ウルスラはさまざまな草や木の薬効を母から教えられていたので、鳥兜の飲み物をみんなに与えたが、眠れるどころか、一日じゅう目をさましたまま夢を見つづけた。そのような幻覚にみちた覚醒状態のなかで、みんなは自分自身の夢にあらわれる幻を見ていただけではない。ある者は、他人の夢にあらわれる幻まで見ていた。まるで家のなかが客であふれているような感じだった。台所の片隅におかれた揺り椅子に腰かけたレベーカは、白麻の服を着て、ワイシャツのカラーを金のボタンできちんと留めた、自分にそっくりな男から薔薇の花束をささげられる夢をみた。男のそばには白魚のような指をした女がいて、花束から墓を一輪ぬいてレベーカの髪に挿してくれた。ウルスラはその男女がレベーカの両親にちがいないと考えたが、しかしいくら思い出そうとしても、一 度も会ったことがないという確信を深めたたけだった。」

 クビーンのもマルケスのも長めの引用としたのは、その内容だけではなく、語り口までよく似ていることを理解してほしいからである。もちろん「眠り病」と「不眠症」は正反対の異変であるが、どちらも伝染性であり(『百年の孤独』では口から感染することになっている)、集団的現象あるいは集団的幻想であることの共通性こそが重要なのである。

・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』(2006、新潮社)鼓直訳

 


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