都営大江戸線六本木駅のエレベータが2か月ぶりに運転再開したことが報じられた。
当該エレベータは、フィンランドのコネ社製で、同社が日本から撤退したために部品調達などに困難をきたして運転不能になっていたものであるが、維持管理・故障復旧などに多くの教訓を示しているように思える。
日本企業でもエレベータは提供しているにも拘らず、自治体の公共施設に外国製のエレベータが設置された経緯は分からないが、単に「安かったから」ではなかろうかと推測している。
10年前頃までの日本の慣習では、大型プラントは納入した企業や関連企業が設置後の保守管理まで継続して受注することが多く、初期費用だけ取り出せば割高に見えるものの安心・安全まで含めたライフサイクルコストで観れば、結局安くなるという図式であったと思っている。
近年の、「自由競争・一般競争入札」以外の調達は、企業の競争意欲や新規参入を損なうとともに官民癒着・税金の無駄を産むという指摘・風潮を受けて、担当者は「初期費用さえ安ければ国民も納得する。あとは野となれ山となれ」という感覚に陥っているのではないだろうかと危惧している。現に、地方自治体の公共工事でも、受注した中小企業が工期内に完了できない、工事途中で倒産するなどのケースが増えているとされている。
今回の「安物買いの銭失い」を地で行った顛末を観ると徒なコスト(初期費用)重視は、一度考え直す必要があるのではないだろうか。
初期費用を抑えるために、安価な外国製品を使用することは、以後の保守管理に問題を残して利用者に不便を強いるとともに、日本企業の業績悪化にも手を貸すという事実をもっと重視すべきではないだろうか。
立憲民主党は「生活安全保障」なるキャッチフレーズを掲げている。
HPでは《食料、エネルギー、経済、防衛などの各種安全保障政策を「生活」を起点に再構築すべきです。「生活安全保障」は、命と暮らしの視点から、日本を力強く再生させる新たなキーワードです》と一読いや良く読んでも理解できない主張であるが、六本木駅の顛末を観ると字面通りの「生活安全保障」ならば必要であるように思える。
社会生活を営む以上、必要かつ応分のコストは負担せざるを得ない。それが安ければ安いに越したことはないが、百均・ディスカウントストア・ワンコインランチがデフレスパイラルの一因ともされることを考えれば猶更に思える。