前原氏が民主党党首を辞任した。
今後に関しては「しかるべき時期に、民主党を離党して希望の党に合流する」と報道されている。幼少時の記憶と感想で申し訳ないが(ネットで調べろ)、昭和30年代の保守合同時の吉田茂氏の行動を思い起こした。保守合同とは、保守政党である吉田茂氏を党首とする自由党と同じく鳩山一郎(悪名を遺す由紀夫の祖父)党首の民主党が合併して、今に続く自由民主党が誕生したことである。当時の自由党は、選挙で第1党の座を失うとともに政権を社会党の片山哲に譲った状態であり、民主党は社会党と自由党に次ぐ第3党であったと記憶している。首相の座を渇望する鳩山を担いで寝業師として暗躍したのが河野一郎(河野談話で今に禍根を残す洋平の父、河野太郎の祖父)である。結果として河野一郎の剛腕が功を奏して民主党が自由党を吸収する形で決着したが、党を失ったとは言えまだ余力を残していた吉田は、自民党に合流すれば最高顧問的な処遇を受けたであろうものの、自民党に合流することを潔しとせず単身(本当に1人と記憶している。)無所属の代議士となった。しかしながら吉田の功績と世論を慮った鳩山・河野は、党名の頭に自由を冠した自由民主党とし、吉田の意志を継ぐ保守本流の党であるとしなければならなかったものと推測している。この保守合同により鳩山は第1党の党首として首班指名を勝ち取り晴れて内閣総理大臣となることができた。今回の前原氏の行動を見ると保守合同の状況に酷似しているが、誤算は希望の党の惨敗・自壊と、小池氏の腰砕け並びに立民の結党であろう。前原氏の目算を推測すれば、今回の行動は共産・社民の極左勢力と連合する必要のない"政権を担える中道的な野党"を作るための政治生命を賭けた秘策・博打であったと思う。しかしながら、敗軍の将として希望の党に合流することは今回の行動が保身・延命の姑息な手段と映り、日本人の美学として到底受け入れられないものと思う。まだ、前原氏が政治家としての余力を自覚しているならば、ここは無所属議員となって捲土重来の道を探すことが得策と思うのだが。
前原氏は、"撮り鉄"として名高いが、美しい写真に比し美しさがない希望の党への合流には疑問符を付けざるを得ない。