5月6日のチャールズ新英国王の戴冠式に秋篠宮殿下ご夫妻が御出席されることが閣議決定された。
秋篠宮殿下の御出席について天皇陛下が御出席されるべきでは?という意見もあると報じられているが、自分は今上陛下即位の礼に高齢であった当時のエリザベス女王に代わってチャールズ皇太子が参列されたことから、当然であるのではと思っていた。
また、アメリカでも副大統領が代理参列することに日本と同様な意見もあると報じられ、加えてこれまでもアメリカの大統領が参列したことは無いとされていることについて自分は、独立戦争の確執以降の慣例だろうとも思っていた。
しかしながら、英国政治外交史を専門とする関東学院大学国際文化学部の君塚直隆教授によれば、「各国の王や女王の序列は在位歴によって決定されるので、戴冠式主役の新王や新女王よりも在位期間の長い王・女王が参列すれば祝福する側が格上となるので儀礼上好ましくないとするイギリスの伝統・慣習に依っている」のが真相で、国際儀礼には慣例が極めて重視されるようである。
そんなこともあってか、英国から届く「招待状」には宛名の記載はないとされ、招待状を受け取った各国も皇太子や№2が出席することで英国発祥の慣例に従っているようである。
1953年のエリザベス女王戴冠式には当時の明仁皇太子殿下(現上皇)が御出席された。当時小4であったが皇太子殿下の渡欧に関する新聞報道は鮮明に覚えており、未だ空路が一般的でなかったために往復は船便を利用されたが同行記者の船中記は興味深く読んだ記憶がある。
後に知ったことであるが、 エリザベス女王の戴冠式は第2次大戦終結後まもないことから、対日感情は最悪で皇太子殿下に用意されたのは末席であったが、それを見かねて後にサウジの国王となるファイサル王子が最前列の自分の席の近くに招かれたそうで、このことも日本を国際舞台に招き入れる引き金にもなったとされている。
エリザベス女王の戴冠式に招かれたのが戦後における皇室外交の出発点と思うが、皇太子殿下の御出席は日英同盟の過去とも相まって対日感情の沈静化も加速させたと思っている。
恐れ多いことではあるが、このことが今上陛下の英国留学の遠因のひとつともなったのではと推測するので、秋篠宮殿下には悠仁殿下も同行頂きたいものであるが、不測の事態を考えれば皇位継承順位の第1・2位のお二方を同行頂くのは非常識であるのかもしれないと危ぶむものの、ブータン訪問の経緯もあるので許されるものかとも思っている。
ネット上で秋篠宮家に対する誹謗が盛んであるらしい。
本日の産経新聞「正論」欄で竹内久美子氏の記述で知ったことであるが、誹謗は秋篠宮殿下の立皇子の礼を契機に激しさを増したとされている。平素からその種の噂には興味が無かったのでモノは試しと検索をしたら、悪口満載の有様で皇統維持のための陰謀論さえあった。
帝国憲法下であれば、これらの記事は不敬罪以上の罪科に問われるであろう主張であるが、現状は表現、思想・信条の自由に守られ、まさに言いたい放題の惨状を呈している。不敬罪を調べてみると、3か月以上5年以下の懲役となっているので、現状におけるネット記事は記述内容から見て投稿者には最高刑の5年懲役刑を科されるであろうことは確実に思える。
「正論」の論述が正確であるならば、秋篠宮家に対する誹謗が最近では秋篠宮家擁護者にも向けられているそうで、あやふやな日本語でのコピペ的同一表現や、秋篠宮家バッシング書き込みバイトがあるとの噂もあることから、外国人が関与している可能性が疑われる状況であるらしい。
正論欄では、秋篠宮家に誹謗が集中するのは、今上上皇の天皇譲位が実現したことから皇位継承1位の秋篠宮殿下、同2位の悠仁殿下に対する攻撃を激化して即位辞退を期待しているのではと継いでいるが、なにやらキナ臭い背景も感じ取れるように思える。
皇室に対して行われるこの種の故無き誹謗・中傷に対しては、背景や背後関係を云々するよりも、国が原告となって告発し、司法的手段で中傷者を特定し処罰することが手っ取り早いのではと考える。しかしながら、それとても中傷で女子プロレスラーを自殺に追い込んだ中傷者に対する刑罰が、9000円の罰金刑であったとされるので、この種の書き込みを根絶することは困難であろうと思わざるを得ない。
日本国憲法は天皇を国民統合の象徴としている。象徴に対する侮辱は畢竟国民及び憲法に対する侮辱であると考えれば、これらの者に対する告発者としては政府や憲法改正を公約する自民党よりも、憲法堅持を訴える社民党や立憲民主党の方がより適格であるように思える。
もし、今回の参院選前に社民党が告発者となった場合は、1名当選・得票率2%どころか大量当選も夢ではなかった・・・かナ。
皇統の継承に関して常に話題となる、宮家について勉強した。
皇統を男子で継承するという伝統を守るための有力な策として、旧宮家の皇族復帰と現在の直宮家の養子縁組が挙げられている。
旧宮家の皇族復帰については、1947(昭和22)年にGHQの指示によって皇籍を離脱した11宮家が候補として挙げられている。
勉強した11宮家を記す(表記は創設年 始祖)と、
・伏見宮(1456年 崇光天皇第1皇子)※直宮家
・閑院宮(1718年 東山天皇第6皇子)※直宮家
・山階宮(1864年 伏見宮邦家親王第1王子)
・北白川宮(1870年 伏見宮邦家親王第13王子)
・梨本宮(1871年 伏見宮貞敬親王第10王子)
・久邇宮(1875年 伏見宮邦家親王第4王子)
・賀陽宮(1892年 久邇宮朝彦親王第2王子)
・東伏見宮(1903年 伏見宮邦家親王第17王子)
・竹田宮(1906年 北白川宮能久親王第1王子)
・朝香宮(1906年 久邇宮朝彦親王第8王子)
・東久邇宮(1906年 久邇宮朝彦親王第9王子)
であり、皇籍離脱した11宮家は全て伏見宮家の系統である。
ちなみに、現在の皇族は
・秋篠宮(1990年 平成天皇第2皇子)※直宮家
・常陸宮(1964年 昭和天皇第2皇子)※直宮家
・三笠宮(1935年 大正天皇第4皇子)※直宮家
・高円宮(1984年 三笠宮第3王子) である。
米印で表記した直宮家(じきみやけ)は、天皇と直接の血縁関係にある皇子や皇兄弟が創設した宮家で、皇統を保つために天皇になり得る家格とされているものの、歴代天皇のうち直宮家で継承したのは4代だけであるらしい。
勉強して理解できたのはこの程度であるが、旧宮家の皇族復帰や直宮家の養子縁組については、皇室典範の改定以上に複雑な側面が内在するように思える。
不敬を承知で考えれば、宮家再興についても、男子で継承できずに断絶した秩父宮・高松宮・桂宮は置くとしても、戦後に皇籍離脱した11宮家のうち直系男子で継承されている家系のみとしても財政的にすべてを再興するには困難であろうと推測する。さらに、皇籍離脱後80年近くも一般人として生活されていた人を一転して雲上人と仰ぐにはなかなかに難しいようにも思える。
また、現在の直宮家の養子縁組による継承についても、例えば常陸宮家には内親王もおられないので、所謂「取り子・取り嫁」となる。「取り子」は旧皇族の直系男子となると思えるが、既に結婚されておられたり、帝王教育には「薹が立ち過ぎていたり」、特異な利害関係を有して居たり、・・・様々な境遇であると思う。この中から、皇統に相応し人物を「恐れ多くも」誰がどのような見識を持って推薦するのかを考えれば、藤原氏の摂関政治にも似た「天皇選び」となってしまうように思える。
これらの懸念を薄めるための私見。
秋篠宮家が健在のうちに、常陸宮と三笠宮家に旧皇族の未成年男子(直宮家に限る)を養子縁組するが、養子に対しては皇族としての尊称や皇位継承権を付与せず、結婚されて誕生した男子に皇位継承権を認めるというのはどうであろうか。こうすることによって、養子のあらゆる影は薄れ、王子は生まれながらの皇室教育を受け、国民の理解も進み深まると思う。
私見が採用されたとしても皇位継承権を持つ皇族の誕生までに20~30年の時日が必要となるが、2600年の皇統を守るために今すぐにでも着手して欲しいと願うところである。
秋篠宮真子内親王が結婚され皇族からお離れになった。
今様には「結婚」であり「皇族を離れる」であろうが、自分としては「臣籍降下・皇族離脱」の方がしっくりする。閑話休題。
本日のテーマは、御結婚に際しての会見に関してである。
会見は、御結婚に対する両人の所感や抱負の後に、報道機関等から寄せられた質問に対し口頭で回答される形式であったが、日本雑誌協会から提出された質問書にはがっかりした。真子さまも「恐怖を感じる」と述べられるように、協会から出された質問は「小室氏の母親に関する疑惑報道の裏付け取材」に他ならず、雑誌の「覗き見趣味」に基づくものでしかなかったからである。
一般社団法人日本雑誌協会を調べて見ると、会員は88社で全雑誌発行部数の約80%を占める団体であることを知った。HPでは《「雑誌」の出版を通じて文化の発展を期するため、出版倫理の向上を図り》としているが、《その他「雑誌」共通の利益を擁護することを目的とする。殊に最近は、雑誌倫理の確立、重要なる業界取引の合理化と改革、税制問題等々、業界内外にわたる諸問題に対して業界4団体の中枢として、その任に当たっている》と続いていることから、倫理の自浄よりも組織・業界防衛を優先する存在であるように思える。
また、協会の内部規定である「雑誌編集倫理綱領」には、《文化の向上と社会の発展に寄与すべき雑誌の使命は重大であり、国家、社会、及び基本的人権に及ぼす影響も大である。この社会的責任により、雑誌は高い倫理水準を保たなければならない》《われわれ雑誌編集者は、自ら戒めて編集倫理の向上を図る》《真実を正確に伝え、記事に採り上げられた人の名誉やプライバシ-をみだりに損なうような内容であってはならない》と神妙であるが、筆禍による名誉棄損・慰謝料請求が引きも切らない現実を見ると、自分が望むような「報道者としての公正中立に努力する組織」ではなく、他業種の協会・利益団体と変わらぬものであるように思える。
古来、慶事の場では呉越同舟が美徳規範であると思う。小室氏の母親問題は、結婚の背景としては大きなファクターであろうが、当人同士には直截の責任が及ばない事柄であり、そのことを粘液的執拗さで下着の中まで明らかにせよと迫ることが協会の掲げた高邁な目的に合致するのだろうか。
キリスト教徒の結婚式では、「この結婚に疑義ある物は今すぐ申し出よ。さもなくば永久に口を閉ざせ」と司祭が云うそうである。本来は、男女間の相克を解決する口上であろうが、雑誌協会も「鞘に収めるべき時期」や「控えるべき場所」について常識的であって欲しいものである。