もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

柄にもなく経済を

2022年10月30日 | 社会・政治問題

 日銀の黒田総裁のインタビューを観た。

 理解不足であろうが、黒田発言の大要を「当面、現行の規制緩和・低金利政策を継続する。為替相場のためだけに金利政策は変更しない」と理解した。
 現在、低金利政策の見直しを主張する意見が多く、自分の少額の預貯金も無利子が続いていることを思えば政策の見直しに同調したい気持ちも湧くが、経済音痴の一端を披露することにした。
 現在の低金利政策が採られた背景を思い起こせば、公定歩合高に依る市中銀行の貸出金利が高いために、
・大企業では、設備投資が低調で、かつ人件費抑制のための非正規雇用者が増大
・体力の弱い中小企業では、金利負担に耐えかねての黒字倒産の例
・更に体力の弱い零細企業では、銀行の貸し渋り・貸し剥がしによる倒産
・銀行が、貸し出し金回収が覚束ない新規起業家に投資することを躊躇するための起業断念
などが挙げられ、低金利政策は弱者救済の福祉政策的な側面をも考慮されていたのではと思っている。
 それらを是正・改善するために導入された規制緩和・低金利政策は、金利政策の転換を恐れる大企業の社内留保増や非正規雇用者が減少しないという負の側面はあるものの、コロナ禍にあっても中小・零細企業が命脈を保ち得たという正の面も多いのではと考えている。さらに、一般消費者の余得として低価格商品やワンコインランチの普及という、一見すれば目立たない利益を得たのではないだろうか。

 小遣いすら管理できない自分が、中央銀行の金融政策の是非を云々すること自体おこがましいが、ノーベル経済学賞を独占するかのアメリカにあってもリーマンショックを防ぎ得なかったし、日本のバブル崩壊を事前予告・警鐘した経済学者は少なかったように思う。こう考えれば、経済学と経済活動、就中生き物と思える金融市場とは連動しないかのようで、株価の乱高下や金融市場の混乱に対しては、経済学者と雖も”紺屋の白袴”に近いと、悪態をつかざるを得ないように思う。
 もし、公定歩合を上げた場合、数年先には預貯金金利も上がるであろうが、経済活動全般では規制緩和以前の修羅場は短期に訪れるのではないだろうか。
 経済通の方からは冷笑・一蹴されるであろう開陳を終演。


文字を知る

2022年10月29日 | 歴史

 NHKBSの「ヒューマニエンス」で知ったことをベースに、文字について考えてみた。

 番組では、最古の文字は5千年前の象形(楔形)文字とされているので、20万年前に人類が誕生したとして97%の期間中は文字を持たなかったとされていた。文字を持った5千年以降の急激な変化に対して、脳は文字識別に必要な機能を整備する暇がなく、止む無く20万年かけて獲得したグラフィック識別機能を代替として使用しているために、人間が失った機能もあるのでは?とされている。
 以前、縄文人では普遍的であったデフォルメ土偶が弥生人との混血によって忽然と姿を消した不思議を書いたが、この論に従えば縄文人のグラフィック機能が失われたことも説明できるのではと思った。
 日本に文字(漢字)が伝わったのは、4世紀~5世紀頃に朝鮮半島を経てとされているが、1世紀頃に造られたと思われる日本の遺跡から貨泉(中国「新」の硬貨)が見つかっているので、文字としては認識・活用されないものの、弥生人と混血した倭人の脳は既にグラフィック機能の多くが損なわれていたために、縄文土偶の普遍性が失われた可能性が考えられる(私見・暴論デス)。
 その後、日本語表記のための文字は、7世紀頃に漢字の音だけを用いた万葉仮名が生まれ、9世紀頃の平仮名と片仮名の発明・進化によって、表意・表音のために3種類の文字を駆使する世界唯一の難解な日本語が完成されたとされている。

 また、番組での「言葉は自然に発生・流布するが、文字は権力と密接に関係する」ということにもナルホドと思った。空間に飛散・消滅してしまうとともに到達範囲が限定される言葉に対して、文字は、記録・証拠・強制の根拠となって管理・統御できる対象が飛躍的に増大するという歴史を持っており、文字を持たなかった集団は小さな集落・地域コミュニティであったのに、文字を持った人は都市国家と呼べるほどの大きな集団で生活することができたとされている。
 残念ながら、現代では映像と伝播の進歩によって、言葉と雖も記録されて口禍となって降りかかることも少なくないが。

 番組では、「ヘリプコター」を読ませる実験があり、回答者の多くは「ヘリコプター」と読んでいた。これは、脳がエネルギー消費を抑えるために既知の知識を利用するためであり、これも文字認識のためにグラフィック機能を使用していることの証拠であるらしい。
 であれば、自分のブログでも多い、誤変換・字余り・字抜けもグラフィック機能に起因するものと開き直りたいが、注意力と云う別の機能が不足若しくは衰えている所為に過ぎない様である。


核戦略の変化を考える

2022年10月28日 | 軍事

 アメリカの核戦略指針が見直されたことが報じられた。

 従来の指針では、核使用は「敵の核攻撃の阻止や反撃に限る」とされていたが、ウクライナ事変でロシアが「通常兵器による戦場での核兵器使用」を示唆したことから、今回の指針では「米国や同盟国の重大な利益を守る『極限の状況』では核使用を考慮」と変更された。また、同盟国に対する『核の傘』も強化すると明記されて、例えば中国の通常兵器による台湾・先島諸島への侵攻に対しても核兵器の使用が選択肢の一つに加わることになったと理解している。
 先日のブログで、アメリカの次期政権以降には日韓両国の核保有が議論される可能性があると書いたが、自分の想像を超えるスピードで世界の核戦略は変化しているようである。
 「同盟国の核の傘強化」に関してアジア地域を考えると、日韓の核保有までは至らないものの、少なくとも両国に対する「核共有」を前提にしていることは明らかと思える。
 核保有の現状を調べると、核の提供国はアメリカのみで共有国はNATO加盟国のドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、トルコの5か国であるが、アメリカ・トルコの関係が悪化化している現在は簿外の事項があるのかもしれない。また、核共有システムについては、核兵器は共有国内の米軍管理下の施設に保管、起爆に必要なコードはアメリカが保有、核兵器運搬は保有国が運航、核兵器使用についてはNATO・アメリカ・共有国の協議によるとされ、前述の各国には合計100個の戦術核が配備されているとされている。

 総理を辞した安倍氏がテレビ番組で「核共有の是非について国会で議論すべき」と発言した時、一部識者は挙って安倍氏を核武装推進論者と非難したが、その反対論の多くは冷徹な世界情勢に目を閉じた「唯一の被爆国が・・・」というお涙頂戴式の幼稚なものであったと記憶している。立民の泉代表は「核兵器は通常兵器の補完たり得ない」と述べて牽制したものの、抑止的な「通常型敵基地攻撃兵器」の保有にも反対であったことから、政治家として真剣に国家すなわち国民の生命・財産を守る気があるのかと疑問に思ったものである。

 非核3原則に核装備の議論封印を加えた「非核5原則」については尊重し、核攻撃されても潔く死ぬ覚悟を以っても非核5原則を堅持される方には敬意を払うものの、非核3原則が40年以上前の「核の手詰まり感から生まれた一時的な小康状態」の冷戦時に、国防に関する確たる議論もないままに政局収拾のために作り出されたものに過ぎないこと思い起こし、その上で世界情勢に応じて柔軟に見つめ直して欲しいと願っている。
 アメリカの核戦略の見直しには対中国牽制の意味も大きいと思うが、自由主義社会に対する警鐘も含まれているように思えてならない。


野田佳彦議員の追悼演説を読んで

2022年10月27日 | 社会・政治問題

 氏の追悼演説は断片的なニュース映像でしか観ることができず、全文は新聞で読んだ。

 数日前に野田氏が「現在練っている」と述べていることから、十分に推敲を重ねられたであろう追悼文は、一般にありがちな極端な美辞麗句を排除した平易な言葉ながら格調高いもので故人と野田氏の人柄、政治信条と攻守に終始した関係を浮き彫りにするものであったと思う。
 また、「政治家の功罪」は短時日で評価すべきでなく、安倍氏の最大の事績とされる「インド・太平洋地域の安定化戦略」も後世の歴史家に判断を委ねるとしているのも、野田氏の健確な政治信条を窺わせるものであったと評価している。
 さらに、全議員に対して国会での論議に注文を付けたことについては、急迫事態対処を避けて低次元の問題に節度さえ失った罵詈雑言を用いる昨今の低調な国会論戦に不満の意を込めたものとも思っている。

 これまでは、凶刃に倒れた社会党委員長浅沼稲次郎氏に対する池田勇人総理の追悼演説が出色とされているが、今回の野田氏の演説もこれに比肩し得るものではないだろうか。
 政治家の事績を単眼・短期に断罪するとともに凶漢・テロリストをも英雄視しかねない立民執行部に比し、政敵を悼むために国葬儀場で献花するとともに丁重ながらも政治家のあるべき姿を込めた追悼演説を捧げた野田氏、心ある有権者はいずれを政治家・選良と認めるだろうか。


山際大臣の更迭と自衛隊弾薬保有量

2022年10月25日 | 与党

 山際経済再生相が事実上更迭された。

 伝えられる山際大臣の統一教会教祖に対する姿勢は、単なる票欲しのリップサービスの域を超えているので記憶力の減退を併せ考えれば更迭は当然であるが、ここでも岸田総理の情勢判断の未熟さと決断力不足が露呈したと思っている。
 この年齢になれば、「多く(多分)の人は多かれ少なかれ脛に傷を持っており、それを隠すことで社会性を保っている」と思っている。それ故に、大臣候補に挙げられれば身体検査に「大丈夫・潔白です」と答えるに決まっているので総理には任命責任などは無く、ただ要求されるのは任命した大臣の品性・能力を見極めての適格性判断と不適格大臣の交代・更迭の決断であると思う。
 岸田総理の長所は「聴く力」であるとされているが、利害の異なる多くの人の意見を聞けば聞くほど雑念が生じるのは当然で、導き出した結論は凡庸な平均値で、なお悪いことには「聴く」ことに長時間を要して時宜を失ってしまうことである。軍・官・民を問わず「指揮官は孤独である」と云われるのは、この機微を端的に表したものと思っているので、孤独に徹し得ない議員は指揮官・総理に立つべきではないと思う。

 防衛省が「現在の弾薬保有量は所要の6割程度」と発表した。
 最高軍事機密である弾薬保有量を発表すること自体が世界史的にも類例がない愚挙であるが、それほどに自衛隊の継戦力が危機的状態にあることを物語っていると思える。6割の保有量と云うのが、どのような算定で導き出された数字かは知る由もないが、正面部隊装備武器の弾薬保有量が定数の6割ということは考えられないので、おそらく定数射耗後の再補給所要を加味した数字と思いたいが、暗澹たる数字であるのは間違いのないところと思う。
 想像の域を出ないが、自衛隊の実射訓練には直接的な弾薬料金に加えて付随的にも多額の費用が掛かるので、多くの訓練をシュミレーション装置を使った訓練に置き換えているのではないだろうか。自衛隊の格言に「訓練は実戦の如く。実戦は訓練の如く」とあるが、護衛艦の実弾射撃を考えても、各回ごとに天象、海象、通信、電波、武器の状態が一様でなく、それぞれに適応して成果を上げ得るように乗員の練度を挙げるためには実弾を使用した訓練が欠かせない。願わくば、弾薬保有量を再考・再整備するに当っては、平時の訓練機会増加をも考慮して欲しいものである。

 野党は山際大臣の首級に続く攻撃対象を探していると伝えられる。今国会におけるもう一つの争点は紛れもなく防衛力整備の限界を見極めることであった筈であるが、不得手な防衛に手を染めるよりも、安易な倫理・懲罰にいそしんでいるように思える。
 国内の倫理騒動を別に、アメリカ次期大統領への政策提言を主命題とするシンクタンクでは日本と韓国に核武装させることが論議されていると報道され、韓国国内でも核武装の是非に対する議論が起こっていると報じられている。
 エングン(円軍&援軍・友邦)を 忘れてクビ(首級)に 狂奔し・・・お粗末!!